礼拝の話

2023/12/21 

12月11日(月) 聖書 出エジプト記 20章4~6節 校長 小西二巳夫

毎年この時期に発表されるものに、子どもの名前ランキングがあります。

名前や使われる漢字には流行があります。

けれど変わらないのは、生まれてきた子どもに名前を付ける場合、そこには親などの願いが込められていることです。

その名前ですが、時にはなぜその名前なのか、意図がよくわからない、けれど、わかるとなるほどというものもあります。

そんな一人に、スガシカオというシンガーソングライターがいます。

スガは名字で漢字のクサカンムリに官僚の官と書いて一文字の「すが」です。

名前のシカオは、武士の武という漢字の左下は上下の上に縦棒を一本付けた、停止の止です、残った字は戈(ほこ)と読みます。

戈は大型の槍のことです。

そうすると、武器の武は戦うことではなくて、逆に戦いを止めることです。

それが武士の武という漢字の意味です。

スガシカオさんの父親が、自分の息子に暴力や武力による争いを止める人になってほしいと、中国の古い文献からとったのです。

知ればなるほどと思うわけです。

人間知るか知らないかで全く違った受けとめ方をするようになります。

自分の知識のなさが、つまらない受けとめ方や感情を起こさせてしまったのです。

スガシカオは1990年代にデビューしましたが、この人が作る歌詞にはドキッとするものが多くあります。

キリスト教との関係でいうならば、「神」という言葉がよく使われるのです。

スガシカオの曲の中に登場するのは神であって神さまではありません。

神さまという言い方には優しさを感じます。

私をいつも見守っていて、何か困った事があると、優しく手を差し伸べてくれる、そういう親しみが感じられます。

ところか「神」となると、逆に厳しさを感じます。

絶対的な存在としての神、善と悪をはっきりさせる存在、人間の言い訳などゆるしてくれそうにない、そんな雰囲気が漂います。

神さまと神との言葉の間には違いがあるということができます。

スガさんは私たちが今生きている世界を厳しく見つめているのです。

自分の力ではどうにもならない現実があって、いくら頑張ってみても、状況は少しもよくならない、問題の解決の糸口が見つからない、出口も簡単に見つからない、というような世界に、人間は生きていると考えたようです。

もしそこから私たちが抜け出すことができるとしたら、そこに神という絶対的な存在の意志と力が必要である、と考えているわけです。

その意味でスガシカオの歌詞はたいへん聖書的です。

しかもスガシカオが考える神とは旧約聖書に登場する神です。

今日の聖書は十戒の前半の部分です。

ここで神は自分以外のものを拝むよことは絶対に許さないと宣言しています。

もしそのようなことをしたら、子々孫々まで徹底的にゆるさないというわけです。

私たちは他の人からできるだけやさしく接してもらうことを願います。

誰も叱られたくはありません。

しかし自分が何か間違いをして、しまったと思う時、「いいよいいよ」と言われると、むしろ納得できなくてグダグダしてしまうことがあります。

人間、時には厳しい言葉で叱られることも必要なわけです。

叱られるべき時に叱られることによって、大切なことに気づかされます。

ただそこには叱る側の叱る前提として、叱られる人の存在を大切にする、愛するという思いがあってのことです。

クリスマスは毎年12月25日と決まっています。

しかし、教会のクリスマス礼拝は日曜日ですので、毎年少しずつずれます。

今年のクリスマス礼拝は24日の日曜日です。

そして、そのクリスマス礼拝を迎える準備アドベントを4週間前から行います。

清和は学校ですので、教会よりクリスマス行事を早くします。

アドベントも今日から3週目にはいります。

この期間にすべきこと、それは自分という存在が神によって愛されていること、大切にされていることを、しっかり自覚することです。

神によって愛されていることを知るか知らないかによって、人生は大きく変わります。

自分が様々な形で愛されていることにしっかり気づけたら、そこに今日を生きる希望と人生を生きる希望が生まれるのです。

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