礼拝の話

2024/01/19 

1月12日(金) 聖書 箴言 16章9節 英語科 市川

好きなことを追い求め続ける、というのは案外難しいことだと思うことがあります。

それは私が飽き性だということが相まってかもしれませんが、この20数年の人生の中でずっと続けていることは何だろうかと考えると答えに悩んでしまいます。

気になったものにはなんでも興味の赴くままに挑戦はしますが、続いていないことばかりです。

ただ、私にとって「20数年の人生の中でずっと続けていること」の答えがないわけではありません。

それは、英語に触れ続けるという経験です。

高校生の時に図書室で、偶然「グレート・ギャツビー」という一冊のアメリカの小説を読んで、衝撃を受け、それをきっかけに英語や海外の文学について学び続ける選択をしました。

今こうして英語教員として清和に来ていることを考えれば、「英語」という言語であり学問は私にとって重要な位置にあると考えられます。

私には音楽などに向けた沸騰するような熱い愛は英語にはないのかもしれませんが、そこには湯気がずっと立ち込めるような穏やかな愛があり続けているのかもしれません。

今日の聖書箇所に出会ったとき、気づいたことがあります。

私はこの言葉を読み、英語に向き合い続けている自分を言い表されているような気持ちになりました。

昔から英語を続けようと決めていた訳ではありませんが、自分が意識していない部分で、英語に関する1つ1つの出来事や私の選択につながりを感じました。

箴言ではこれを「神の見えない力が働いている」と考えますが、私は自分の経験と照らし合わせて聖書が教えてくれていることが納得できたように思います。

みなさんにとっても、好きなことを追い求め続けたい、そんな思いがあるかもしれません。

うまくいかないときやどうしたら良いかわからなくなってしまったときには落ち込んだり、悩んだりすることもあるかもしれません。

追い求めたいと思うようなことが見つかっていないことだってもちろんあります。

けれど、そんな葛藤の先で、もしかしたら別の道の先で、居心地の良い環境にたどり着いているのかもしれません。

いつかは「追い求めたい」と思うものに出会うかもしれないし、「これなら追い求めてもいい」と思うものが発見できるかもしれません。

どれが正解かは、分かることはないのかもしれません。

ただ、先ほど話した小説の好きな言葉を借りて言い表すなら「断定的に割り切ってしまわぬということは、無限の希望を生むことになる」でしょう。

可能性はゼロではなく、否定しない、決めつけないことが「追い求める」に繋がるのではないでしょうか。

うまくいかなかったと感じる経験も無駄だとは思わず自分の材料にできるよう、日々の気づきを大切に歩んでいきたいです。

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