礼拝の話

2024/05/29 

5月9日(木) 聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ 1章4節 日本キリスト改革派 山田教会 高内信嗣牧師

ゴールデンウィークにたまたま自宅の本棚にあった「アンネの日記」を開きました。

2年間に及ぶ隠れ家生活の末、ナチスに発見され、強制収容所へと輸送され、わずか15歳にして命を落としました。

この日記はアンネが13歳の時の誕生日にプレゼントしてもらった日記帳に書き始めたものです。

この「アンネの日記」はほぼ毎回「親愛なるキティーへ」という一文から綴られます。

「キティー」という人物へ呼び掛ける形で日記が書かれていますが、実はこの「キティー」という人物は実際には存在しません。

架空の人物に語りかける仕方で、この日記は記されています。

それがこの日記の最大の特徴です。

日記は本来、自分以外の読者を必要としません。

しかし、アンネは自分自身の感情をノートにただぶつけることはしませんでした。

苦しい出来事も、楽しい出来事も、あえて距離を取り、読者であるキティーに手渡すという構図を取りました。

また、日記は、毎回必ず最後に「アンネより」と署名して閉じられています。

アンナは自分の存在を日記に繰り返し刻み付けていたのです。

隠れ家生活での苦しみは、想像もつかないほど壮絶だったと思います。

家族や同居人がいたとはいっても、外の世界と断絶された隠れ家での生活がどれほど孤独だったのか。

そのような中で、アンネは「キティー」の存在に支えられたのだと思います。

苦しい隠れ家生活、そして戦争の時代の中で、キティーが特別な存在だったことが分かります。

特別な存在に支えられて、アンネは日記を書く力が与えられたのではないか、と思います。

本日読んでくださった聖書の御言葉に「慰めによって」とあります。

この「慰め」という言葉の本来の意味は、「呼ばれた傍らにいる」という意味です。

「傍にいる」という言葉が、「慰め」という意味を持つのです。

このことは非常に興味深いことです。

傍らにいることが、誰かの慰めになるということです。

かける言葉がなくとも、何もできないと落ち込んでも、傍らにいることで誰かの慰めとなる時があるのです。

アンネは、キティーが傍にいてくれたことで支えられました。

私たちも誰かの存在によって慰めを受け、逆に誰かの慰めの存在になるということです。

自分を卑下する必要はありません。

私たちも誰かに慰めを与える存在であることを誇りに思いながら歩んでいきたいと思います。

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