礼拝の話

2024/05/30 

5月16日(木) 聖書 使徒言行録 3章1~3節 日本キリスト改革派 山田教会 高内信嗣牧師

今朝の聖書の箇所では、生まれながらに足の不自由な男について、「神殿の門のそばに置いてもらっていたのである」と記されています。

この男がまるで物のように書かれています。

この人が置かれていた現実の厳しさがよく表れていると思います。

重い障がいを持って生まれてきた人、病を患う人など、その人々を「呪われた存在」とみなすような人間観は、暗闇の人間観だと思います。

「お前に存在価値はない。そうではないと言うならば、その価値を示せ」という価値観が、わたしたちが生きる世の中は満ちていると思います。

こういう暗闇の力が実際に私たちの歴史の中で露骨な仕方で現れることがあります。

その一つの例が、ヒトラー率いるナチス・ドイツが行ったことです。

ナチス・ドイツが多くのユダヤ人を虐殺した「ホロコースト」については有名ですが、そこに至る前に、そういうナチスの暗闇の人間観が現れた悲惨な出来事がありました。

それは「安楽死作戦」というものです。

重度の障がいをもって生まれてきた児童や精神に障がいのある人などに対する大規模な「安楽死」を実施する計画が、ナチスの中で進められたのです。

不治の病や重い障がいのある人間は役に立たない「劣等人間」とみなされました。

能力や生産性を基準に人間を測り、「役に立たない人間は生きるに値しない」と判断することが「暗闇の人間観」だと思います。

このような考え方は人間の命を奪うのです。

そして実際に歴史の中でこのようなことが行われたのです。

聖書は人間が「神のかたち」に造られたと教えます。

聖書の価値観は、人間に重い障がいがあろうと、寝たきりであろうと、大切な存在なのです。

この価値観をイエスは持っておられました。

夜遅くまで、大勢の人が押しかけて来たとして、イエスは拒みませんでした。

人間の命の尊さを見ておられたからです。

暗闇に染まった、悪魔的な人間観は、ナチスだけではありません。

今も私たちの周りに、形を変えて、潜んでいます。

人間の尊い命を軽んじる悪の心の根が、色々なところにあるのだと思います。

私たちは聖書を通して、人間の命の価値を再確認したいと思います。

私たちが聖書の価値観を持って生きることには意味があります。

私たちには役割があります。

悪の価値観が様々なところに芽生えている中で、私たちがイエスの価値観を持って出ていく時、そこに命を大切にする心が植え付けられていくはずです。

イエスの価値観を持ちながら、私たちは今日の営みを過ごしたいと思います。

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