礼拝の話

2024/10/01 

9月13日(金) 聖書 ヨハネによる福音書 14章27節 社会科 藤村

2学期が始まり、校舎やチャペルにみなさんの姿があり礼拝に始まり礼拝に終わる日々です。

日頃の生活の中で、こうした空間と時間は身近にありすぎて、意識しないものかもしれませんが、習慣から切り離されると、改めて考えたくなるものです。

かつては、時間というものの概念も、宗教的に意味づけられていました。

一生は、教会での洗礼に始まり葬儀に終わる。

1年は、新しい命を祝うイースターから始まる。

1週間は、安息日の礼拝から始まる。

1日は、教会の鐘の音で始まり、終わる。

校舎の4階の踊り場には、19世紀フランスの画家、ミレーが描いた『晩鐘』という絵が飾られています。

この絵には、夕暮れの中、畑にたたずむ2人の人物が、頭を垂れて祈りを捧げる場面が描かれていますが、「晩の鐘」と書くタイトルの通り、近くの教会の鐘の音を聞き、畑仕事を終えて祈りを捧げていているのでしょう。

静けさの中に響く鐘の音を想像しながらこの絵を見ると、彼らは何を祈っているのだろう、と疑問が湧き、ふとある祈りの言葉を思い出しました。

かつて、近況報告に清和を訪ねたときに先生から紹介された祈りがあります。

serenity prayerといって、牧師のラインホールド・ニーバーが残したものです。

「神さま、私に与えてください。

変えられないものを受け入れる心の静かさと、変えられるものを変えるための勇気を。

そして、変えられるものと変えられないものとを見抜く知恵を。」

英語のserenityは、穏やかさや平穏という意味をもち、clearやfairという言葉が語源にあります。

確かに、この祈りを口にするとき、静かな落ち着きが心に広がるようです。

正直なところ、初めて読んだ時は、この祈りの意味がよく分かりませんでした。

なぜ教えてくださったのかも不思議でした。

しかしその後も、折に触れて思い出し、つぶやいてみたりしながら10年以上が経ち、この祈りが最近ようやく腑に落ちたように思います。

変えられないものを受け入れ、変えられるものを変えようとする、そしてその違いを見分けるには、冷静さと勇気と知恵が必要だということです。

この「変えられないもの」を、他の言葉に置き換えてみてはどうだろうかと考えました。

例えば、乗り越えられないもの、理解できないもの、止められないもの。

乗り越えられないものを乗り越えるにも、理解できないものを理解するにも、止められないものを止めるにも、出発点は自分自身です。

いよいよ明日、体育大会を迎えます。

明日は学年を越えて、仲間の頑張りや活躍を認め合い、共に過ごす時間を大切にしたいと思います。

明日の体育大会において、なすべきことを見極める冷静さと、もう一息力を尽くす勇気と、委ねて時を待つための知恵を与えてくださるよう、祈りたいと思います。

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