礼拝の話

2024/10/01 

9月18日(水) 聖書 マタイによる福音書 6章6節 社会科 山脇

先日、今年のイグノーベル賞が発表されました。

この賞はノーベル賞のパロディとして1991年に始まったものです。

ノーベル賞が創設された背景には、ダイナマイトを開発したノーベルの想いがあるというのはよく知られています。

一方、アメリカの科学雑誌の編集長、マーク=エイブラハムズが創設したイグノーベル賞は、人々を笑わせるユニークな研究に与えられるものです。

今年、このイグノーベル賞の生理学賞を日本の研究チームが受賞しました

評価された研究は、「ブタはお尻からも呼吸ができる」というものです。

このイグノーベル賞を日本人が受賞するのは、今年で18年連続というのですから、これも驚きです。

周りから見たらつまらないこと、意味のないことに思えてしまうようなことでも、それを突き詰めていくと、新しい世界が開けたり、その分野で突出した発見につながったりすることがあるのだと、イグノーベル賞のニュースを見て、そう感じました。

今日の聖書には、イエス・キリストが民衆に祈りを教える場面が描かれています。

イエスは、祈るときは人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈るのではなく、自分の部屋で祈ることを教えています。

私たちの目には見えない神を、イエスは「隠れたところにおられる父」と今日の箇所で言っています。

その神に祈りを捧げるときは、見られようとしなくても、隠れたことを見ておられる神が報いてくださる、とイエスは言います。

多くの人に見られようとするのではなく、本当の神にただ一人向き合い、祈りなさいとイエスは言います。

例え誰も見ていなくても、例え周りから見て無意味と思われてしまいそうなことでも、あなたの神がしっかり見ていてくださるということを今日の聖書は教えています。

先日行われた体育大会でも、一人ひとりが見えない努力を重ねたことと思います。

それは表に見える部分だけでなく、周りからは見えにくいものもあったことでしょう。

そのような努力があって、体育大会がより良いものになったのだろうと、改めて感じます。

私たちの日常の歩みは、決して単純なものではありません。

人知れず悩むことも、人知れず必死に努力することもあるでしょう。

その日々の歩みを、隠れた所におられる神は確実にその目でとらえ、私たちの心を支えてくださっています。

誰も見ていなくても、悩みながらも私たちが祈りながら歩むならば、神はその歩みを喜んでくださいます。

私たちの日常のなかには、意味のないことは何一つなく、周りか見ればつまらないと思うようなことも、大切な経験なのだと思います。

そのような私たちの今日の歩みにも、神の目が注がれていることを心に留めたいと思います。

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