礼拝の話

2024/10/29 

10月21日(月) 聖書 ローマの信徒への手紙 12章14~18節 校長 小西二巳夫

今から30年近く前に「ボキャブラ天国」というお笑い番組がありました。

若手の芸人や視聴者が考えた言葉遊びに点数を付ける番組でした。

「ボキャブラ天国」は言葉遊びのお笑い番組でしたが、受けるためにはボキャブラリー、日本語にすると「語彙」をたくさん知っておく必要があるのです。

単語や言葉を知っているだけでなく、その単語の意味を分かりやすく説明ができる、他の言葉に言い換えることができるなど、単語や言葉を自由に使いこなせるのを語彙力といいます。

そして、私たちが長い年月学校に通い教育を受けるのは語彙力をつけるためです。

この語彙力の大切さを教えてくれる本がしばらく前に出版されました。

タイトルは「戦争語彙集」です。

書いたのはオスタップ・スリヴインスキーというウクライナの詩人です。

私は「戦争語彙集」を読むまで、語彙は変わらないものだと思っていました。

それが認識不足だったことを「戦争語彙集」から教えられました。

私たちが言葉の意味を考える時、説明する時、実は平和をベースにしているのです。ですから戦争や紛争をベースにすると、語彙はまったく違ったものになります。

戦争語彙集には結婚式、新婚旅行、恋愛、夢、スイーツなど、誰もが希望を感じ、憧れをもって受けとめるボキャブラリーがたくさん出てきます。

けれど、考えるベースが平和ではなく戦争にあるウクライナでは、それらが希望ではなく絶望を意味する言葉であり、悲しい受けとめ方しかできないボキャブラリーになっています。

ただウクライナの人たちも2022年2月24日のロシアによる攻撃が始まるまでは、私たちと同じ受けとめ方をしていたのです。

今日の聖書箇所で、パウロという人は共に泣き共に喜ぶ、そのような体験をたくさんすることによって、平和は作られていく、実現できると書いています。

これはそれまでの人生の中で、多くの過ちを冒してきたパウロの言葉であるだけに、意味が深いのです。

そこで大事になのは、誰と共に泣くのか、誰と共に喜びを分かち合うのかです。

それは身近な人、大切な人です。

今私たちには、ウクライナやパレスチナのガザの人たちがどのような状態で毎日生きているのか、テレビや新聞で、ほぼリアルタイムで知ることができます。

インターネットを通してウクライナやガザの人の言葉をすぐに聴くことができます。

そこに生きる人の表情を見て取ることができます。

会話もできるのです。

そして、リアルタイムでそれができるということは、身近な人たちだということです。

その身近な人たちの喜びと希望のボキャブラリーが、戦争によって悲しみと失望と絶望に変えられてしまっているのです。

それを再び喜びと希望のボキャブラリーにする使命が身近な私たちにあると言っても決して言い過ぎではありません。

身近な人のためにすぐにできること、それは自分の時間をその人のために使うことです。

自分の時間を使って、ぜひしっかり祈りたいものです。

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