礼拝の話

2024/11/26 

11月5日(月) 聖書 ヨハネによる福音書 15章4~5節 校長 小西二巳夫

私は週に5日程、朝の早い時間にランニングをしています。

朝の早い時間帯なので、いつも見かける人がいます。

よく見かけるのが、犬と一緒に散歩をしている人です。

その中で、時々出会うにぎやかな一組がいます。

飼い主の女性ですが、愛情をもって犬に接しているのがよくわかります。

連れている犬は二匹のフレンチブルドッグです。

1匹はリードなしで散歩をし、もう1匹にはリードが付けられています。

散歩の様子を見ていると、対照的な二匹の犬です。

そこで、もしどちらの犬を飼いたいかと尋ねられたら、たいていの人は聞き分けの良い、飼い主の手を煩わせないリードなしの犬と答えるはずです。

でもそれはあくまで飼い主の側からの都合の良い見方です。

それでは、次の質問には何と答えるのかです。

それは自分がリードなしの犬か、それともリードありの犬か、です。

私は迷いなくリード付きの犬と答えます。

私は男兄弟3人の真ん中です。

独立心の旺盛な兄と誰からも愛される存在の弟。

そして2人とも、いわゆる勉強ができました。

間に挟まった私は、成績は悪くはありませんでしたが、よくもありませんでした。

母から、あんたは手がかかる、と小さい時から言われていました。

自分でも、ダメな子どもだと自己嫌悪に陥ることもありましたが、今まで、情けなさや欠点をいくつも持つ私にもかかわらず、それなりにやって来れた、生きてこれたのも確かです。

その理由を考えてみました。

まず、周囲の人の支えがあったからです。

その時その時に必要な助けがあったからです。

今日の聖書には「私につながっていなさい」とのイエスの言葉が書かれています。

イエスにつながることで、精神的な落ち着きが生まれ、心が満たされる、生きていてよかったと思えるというわけです。

ここには、人間にとって他の人とつながることが、いかに大切であるかが書かれています。

今日の聖書から、私には目に見えないリードがついている、確かにリードにつながれていることは確かなのです。

私のリードとは何か、それはイエス・キリストです。

リードにつながれているフレンチブルドッグは、ただつながれているのではありません。

リードによって守られているのです。

同じように、様々な弱さや至らなさを持つ私が、それでもいきいきと生きさせてもらっているのは、イエスが私のリードとなってくださっている、からだということが今日の聖書からわかります。

見えないリードによって、生きることに欠かせないつながりを与えられている、そのことにしっかり気づきたいと思います。

それを力にして今日から始まる1週間を共に過ごしたいものです。

学校生活の様子

学校生活一覧へ

学校生活|高校一覧へ

学校生活|中学校一覧へ

礼拝の話一覧へ

中学・高校 学年の通信から一覧へ

クラブ活動一覧へ

▲ページトップへ