礼拝の話

2024/11/26 

11月7日(木) 聖書 詩編 126編5~6節 音楽科 三浦

我が家の近所には柿の木があります。

春先になると枯れ枝のようなところから、一気に青々とした葉が生えてきて、「新緑」という言葉がぴったりの様子になり、この季節になると色づき、おいしそうな「柿の実」になるのですが、今年はどうやらそううまくはいっていないようです。

今朝の聖書の箇所、この詩編が読まれたであろう場所は、今、戦乱の中にあるパレスチナのあたりです。

ニュースでうつされる映像を見てもわかるように、乾燥している土地です。

夏の乾季の間は、熱風によって大地は乾燥して干上がり、秋頃になるとようやく恵みの雨が降り、そうなると、やっと種まきを始められるといいます。

今朝の聖書の言葉から、わたしたちが受け取らないといけないメッセージは、目の前にある現実をしっかりと見つめて今を生きる、ということだと思います。

不安があるから、心配があるから、とその一歩、種まきをしなければ、何の実も花もつけるはずはありません。

蒔いたから、といって、必ず咲くことや実がつくことが約束されるわけではありませんが、でも、わたしたちは、それぞれの時期に応じて、自分自身にその種まきをする必要があるのだと思います。

目に見える形でのこともあれば、目には見えない形でのこともあるでしょう。

そして、目には見えない形での種まきの方が、わたしたちの人生の中では多いのです。

今朝の聖書の箇所を読むと、わたしは、どのような現実があろうとも、最善を尽くし、その結果を待つことが必要なのだと思わされます。

「祈ってどうにかなるのか、どうせ失敗するならやらない方が…」という思いが出て来る人もいるのだと思います。

でも、祈らなければ本気度は出てきませんし、やらなければ次もありません。

わたしたちは日々礼拝を守り1日を始めます。

いろいろな思いを神さまに委ねて1日をしっかりと歩むためです。

清和での礼拝の時を過ごしているみなさんは分かっていると思いますが、わたしたちにはベストを尽くすことが日々求められているのです。

この「ベストを尽くす」ということは、何か成果を上げる、とか成功する、ということではなく、それぞれに与えられた1日を、精一杯に生きること、これがわたしたちの「ベストを尽くす」です。

神さまに丸投げして、どうにかして、なんていう無責任な生き方は求められていません。

どんなに祈っても、どんなになぜと尋ねても、つらい現実が変わることがないこともわたしたちは知っています。

しかし、今朝の聖書の箇所にあるように、「涙と共に種を蒔く人は 喜びの歌と共に刈り入れる 種の袋を背負い、泣きながら出ていった人は 束ねた穂を背負い 喜びの歌をうたいながら帰ってくる」のです。

わたしたちが力を尽くした先に、わたしたちの思いをはるかに超えた神さまの御心が働くことを信じて1つずつ歩むことが大切です。

今日という1日が実り多いものとなるよう祈りたいと思います。

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