礼拝の話

2024/12/26 

12月6日(金) 聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ 4章7~9節/14~15節 音楽科 三浦

前回の礼拝でお話したように、わたしは1年生の8月から新しい学校での生活を始め、右も左もわからないままに、ただひたすらまっすぐに過ごしていたようにも思います。

でも、1つだけ、わたしの安心材料は、ここは「礼拝を守ること」と「教会に行くこと」がふつうな世界だ、ということでした。

父が牧師でしたので、日曜日の礼拝は生活の一部でしたし、お祈りも常に身近なものでした。

その当たり前のことがふつうにある学校生活、これがわたしに勉強ができる、できないに関わらず、一番の安心材料だったように思います。

勉強はできてもできなくても、すること自体が好きだったので、わからないなぁと思いながらも、それなりに楽しんでいたのだと思います。

勉強が好き、と聞くと、変わった人だと思われるかもしれません。

でも、学校での「勉強」といわれることを含めて、新しいことを知ったり、知らなかったことがわかるようになったり、そんな考え方があるのかと知ったりすることは、楽しいことだと思います。

そして、これを「学ぶ」といいます。

学ぶこと、これは、わたしたちの人生で生きている限り続いていくことです。

わたしたちは、キリスト教学校で学んでいます。

それぞれ、清和との出会いは違いますが、一人ひとりに、ここで過ごす時間が必要だと定められて、ここにいます。

ここで、自分自身とは何者かを考える時間、他者と本当に生きるとはどのようなことか考える時間、自分がどのように用いられていくのかを考える時が与えられています。

ここで学ぶわたしたちは、クリスマスが、ただの楽しいだけのものではないことを知っています。

チャペルクリスマスは、キリストの誕生を覚え、わたしたち一人ひとり、そして、わたしたちがまだ出会っていない一人ひとりとよりよい世界を創ることを覚えるために行います。

それぞれの学年や部活動が準備を重ねているチャペルクリスマスのための練習ですが、それぞれできるからやる、のではないことは分かっているでしょう。

一人ひとりのそれぞれにある力を合わせることで、清和のチャペルクリスマスは出来上がります。

誰が欠けてもいけないのです。

一人ひとりに与えられた役割を一人ひとりが誠実に行う中で、作りあげられる空気や見えてくるものがあります。

そこに、クリスマスの喜びを伝える意味があります。

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