礼拝の話

2025/02/25 

1月27日(月) 聖書 ローマの信徒への手紙 5章3~4節 音楽科 三浦

10日前、1月17日は、阪神淡路大震災から30年の時でした。

30年前のこの日、小学生だったわたしは、たまたま朝ついていたテレビを眺めていました。

すべてのチャンネルで地震についてのニュースをしていて、何やら大変なことがおこったらしい、と小学生ながらに思ったものでした。

わたしたちは、そのような自分の考えをはるかに超えた出来事に出会うと、その瞬間にはそのことで頭がいっぱいになりますが、実際に自分が体験したことではないことには、それほど大きな関心を抱き続けることは難しい生き物なのかもしれません。

でも、それでいいのでしょうか。

そうではないでしょう。

わたしたちキリスト教学校で学ぶものは、その1日1日、その1つ1つにあって、その出来事の奥にある事柄を想像することが求められます。

南海トラフ巨大地震が予想されている高知で生きているわたしたちは、これまでの大きな震災で、多くの人々が力を合わせてきたように、一人ひとりの力を合わせて生活する必要が出てくる時が来ます。

その時に、どのように生きることが求められるのかを考え続ける必要があります。

高校2年生は、明日から研修旅行に出発します。

清和での研修旅行は、中学でも、高校でも、すべて「平和を創り出す者になる」ために行われます。

学びの一環として行われますので、ただ単に楽しければ、というものではありません。

中学生が3日間、長崎の地でしっかりと学んできたように、高校の研修でも4泊5日、しっかりと学んできます。

生きる、ということや、「平和を創り出す」、ということには、真剣さが必要です。

誰かが作ってくれるだろう、誰かがどうにかしてくれるだろう、といっていては、取り返しのつかないことになったり、失われなくてもよいものが失われていったり、ということをわたしたちは日々のニュースからも知っています。

キリスト教学校で学ぶわたしたちは、ある事柄に対して、できる、できない、という能力だけで考えるのではなく、今をどう生きるのかを真剣に悩み、考え、自分にとって難しいことでも挑戦していく心と体力をつけることが求められています。

1つ1つの体験を通して、わたしたちはいろいろな知恵を身につけていきます。

小さな子どもが、歩くことを覚え、人との関わり方を覚えていくように、この中高生時代に、家族以外の他者と共に生きる社会性を身につけるために、中学、高校の学校生活はあるのだと思います。

その中で、しんどいことも、嬉しいことも、その1つ1つでわたしたちは成長していきます。

そのような中で、お互いに力を合わせて過ごしたり、助けが必要であることを伝えたりする中で、きっと生きる希望がわく日が来るのだと思います。

わたしたちも、その、いつか起こる、災害、震災に備え、その苦難に遭っても、希望を見出すことができる力を養っていく学校生活を送っていきましょう。

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