清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2025/09/01
聖書 マタイによる福音書 3章13~17節
泉ゆたかの『横浜コインランドリー』のシリーズ3作目にサブタイトルが「雨のち晴れ」という作品があります。
前作からの続きの場面は、コインランドリーのオーナーの新井さんが母親の加奈子さんと泥まみれになったスニーカーを前に話しているところでした。
娘の新井さんから、コインランドリーの専用の洗濯機で靴の洗い方の説明を受けた時、母親の加奈子さんが「靴って 洗えるのね。知らなかったわ」といいました。
この一言によって、新井さんは母親自身、靴が洗えることを知らないまま育っていたことを知ったのです。
今日の聖書箇所は、「イエス、洗礼を受ける」と見出しにあるように、イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受ける場面です。
洗礼はクリスチャンになるための式です。
洗礼は洗うという漢字を使うように水を使います。
水には汚れを落とし、きれいにする力があります。
その水をクリスチャンになるための式で使うのは「心をきれいにして、新しく生きる」との意味が込められているからです。
イエスは洗礼者ヨハネが、自分にはあなたに洗礼を授ける資格はないといった時、それでもぜひ授けてほしいといいました。
イエスは30歳になるまで生きてきた自分にも、洗礼によってきれいにしなければならない罪があると考えたからです。
洗礼を受けることで、心新たに与えられた使命の道を歩き出そうとされたのです。
日本語の「洗礼を受ける」にはクリスチャンになるための式だけではなく、もっと広い意味があります。
たとえば「○○の洗礼を受ける」との言い方があります。
これはその社会に入ったり、その道に通じたりするために、どうしても必要な体験をすることです。
それをここにいる私たちに当てはめると、「清和の教育の洗礼を受ける」となります。
イエスは人と社会にとって大切なことを、2つの言葉で表現されました。
それは「主なる神を愛し、隣人を自分のように愛する」です。
この言葉によってイエスが言おうとしたのは、自分が何者かを考えること、その自分がどのように生きるのかを考えることの大切さです。
それをしっかり考え続けることによって、幸せな人生を過ごせる人になり、平和な社会を作る人になるからです。
2学期が始まりました。
毎朝の全校礼拝によって日々心を洗われ、新たにされながら、自分の課題に取り組むのはもちろん、私たちが生きる社会の課題に取り組む自分でありたいと願います。
