礼拝の話

2025/10/27 

校長 小西二巳夫

聖書 マタイによる福音書 25章37~40節

ある街頭インタビューを聞き、「右顧左眄」と「他人事」の言葉が浮かびました。
「右顧左眄」は、右を見たり左を見たり、あたりの情勢をうかがってばかりいて、決断しないことを意味します。
海外の街頭インタビューや大学生、中高生の話を聞くと、その精神性の違いはどこから生まれるのかを考えます。大きな理由にキリスト教があります。
アメリカ・ヨーロッパにはイエス・キリストを通して神と対話するとの精神風土があります。
イエス・キリストが自分に何を求めているのか、どのように判断すればいいのか、それをキリストに聴くという絶対的な基準を持っているのです。
それがない日本では、無意識に周囲の反応を見ながら決めることになります。
そうした中で清和は毎朝行う全校礼拝を通してイエス・キリストによって神と対話する時間を持っているのです。

イエス・キリストによって神と対話する大切さがよくわかるのが今日の聖書箇所です。
この聖書の箇所からはっきりわかるのは、私自身と私の持つ人間関係、私が生きる社会や世界で起きている、どれ一つも無関係なことはないのです。
日本も新しい首相が選ばれました。
政治は政治家がするもの、まかせておけばいいというのは完全な思い違いです。
というのは、政治とはすぐに分かり合えないことも多い者同士が対話をしながら、そしてお互いの意見や考えを認め合いながら、一緒にやるためのルールを決めていく、それによって一人ひとりが幸せになるための土台を作っていく作業のことだからです。
一人ひとりが幸せになるための土台作りは、学校の中でもいつもやっていることです。
生徒会活動も間違いなくその一つです。
生徒会活動は生徒会役員にまかせておけばいいというものではなく、一人ひとりが幸せな学校生活をするための土台を作っていくための、政治的なことであり自分事なのです。
そのことを自覚しながら、新しい生徒会を支えていきたいものです。

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