礼拝の話

2025/11/05 

日本基督教団土佐嶺南教会          鍋谷仁志牧師

エフェソの信徒への手紙 3章18~19節

東日本大震災から1年半たった2012年の今頃、わたしはボランティアに行きました。
行ってみるとまだまだ震災の爪痕は残ったままで、何もない荒れ地が広がっていました。
わたしたちの作業は、ある空き地の草むしりでした。
その周辺は震災後、災害危険区域に指定されて、もう人が住んではいけない場所でしたので、なぜそのような場所の草むしりをするのかと思ったら、その空き地はこの周辺の仮設住宅のリーダーの家だった場所だといいます。
その方が、最近元気がなく落ち込んでいるので、住んでいた家の跡が、少しでもきれいになれば、元気になってくれるのでは、と周囲の人たちが願ってのことでした。
もう住むことのできない場所の草むしりをすることは、生産性という点では、何も意味がありませんが、彼に元気になってもらうにはどうしたらいいのか、彼に寄り添うためには、と一生懸命考えてのことだったのです。
実際、現地の方々とお話をしたところ、何かの役に立つかどうかよりも、遠くから来てくれる、忘れないでいてくれる、ということが何よりも力になるのだ、ということを感じさせられました。
イエスさまこそ、誰のもとにでも出向き、誰にでも寄り添ってくださったお方でした。
誰にも相手にされない、寂しい人たちと、一緒にいてくださるお方でした。

今日、読んでいただいた聖書の言葉は、イエスさまの愛が、いかに大きいか、ということが書かれています。
愛を知るということは、愛を行うということです。
愛する力のない者が、愛することのできる者として生きることは、とても大きな喜びです。
いただいている愛が、どれだけ大きいか、より深く知ることができるからです。

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