礼拝の話

2025/12/09 

【クリスマス教育週間②】校長 小西二巳夫

聖書 マタイによる福音書 2章13~15節

小説家三浦しをんの作品に『荒野の果てに』があります。
登場人物は天草の大多村に住む潜伏キリシタンで百姓の弥五郎と幼馴染で潜伏キリシタンを取り締まる役目の下級武士卯之助です。
この2人が突然150年後の2014年の現代にタイムスリップをする話です。
タイムスリップしてきた2人に声をかけたのが、里絵でした。
里絵はせっかく150年後の江戸に来たのだから、と東京見物に誘い、クリスマス礼拝に連れて行くことになります。
2人は150年後の世界では、キリスト教を信じるのも信じないのも自由ということが、周りの様子からわかり、2人は里絵に出会えたことに感謝しながら、自分たちの世界に戻っていきます。
元の世界に戻れば、拷問を受け処刑される可能性が大いにあるにもかかわらず戻ることにしたのは、自分の人生を堂々と生きることが、150年後の自由な世界を作り出すことにつながっていることを目の当たりにしたからです。
そこに自分の人生を生きる意味と希望を見出したのです。
潜伏キリシタンの弥五郎の身に起こることは小説『荒野の果てに』の中だけのことではありません。
私たちが生きている、今現実に起こっていることでもあるのです。
日本は難民申請が通りにくい国の1つで、難民を適切に保護しないことについて、日本政府は国連などから人道的立場に立って判断するように求められています。
「ノン・ルフールマン原則」という世界共通の決まりごとがあり、「迫害を受ける危険がある国へ難民を送還してはならない」というこの考え方を日本も当然受け入れていますが、現実は国連からも指摘されているように、しっかり守っているとは言えないのです。
本国に送り返されたら命を失うことになる、それはそのままイエスに当てはまります。
救い主の誕生を恐れたヘロデ王はベツレヘム一帯の2歳以下の男の子を虐殺しました。
それを事前に知ったイエスの一家は難民となってエジプトに逃げました。
その時にエジプトがイエスをユダヤに送り返していたら、救い主は生まれていません。
本国に戻されれば命を奪われることがわかっていながら、それを行うことは、イエスを裏切ることでもあるのです。
日本という国で生活している私たちに、難民としての体験を持つイエスが、せめてものこととして求めるのは、様々な形で難民となった人がいることに関心を持ち、その人の人権が守られるよう祈ることです。

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