礼拝の話

2025/03/04 

2月12日(水) 聖書 マタイによる福音書 4章4節 社会科 山脇

先月2歳の誕生日を迎えた子どもは、色んなことに興味が広がってきています。

今までぐずった時は「おかあさんといっしょ」を見せ、それに飽きたら「あんぱんまん」を、そして最近、新たに「ウルトラマン」が追加されるようになりました。

先日、この主題歌を流した時のことです。

子どもは曲を聴きながら手をくるくる動かして楽しんでいるようでした。

試しに「カッコいいね」と声をかけてみると、「カッコいいねぇ」と返してきました。

さらに「頑張れ」と声をかけると、テレビに向かって「頑張れ~」と声をかけるのです。

最後にウルトラマンが飛び立っていく時には「バイバイ」と手を振ります。

そのような子どもを見ていて、ふと思ったことがありました。

それは、子どもがどのような感覚で「かっこいいねぇ」と言っているのか、ということです。

私が「かっこいいね」と言うので、子どもはその影響で「かっこいいねぇ」と言っているように思うのです。

つい最近、晩御飯の時に家の中で犬が吠え続けた時に、「うるさい!」と犬を注意すると、子どもも同じように「うるさい」と言いました。

私の使う言葉を、子どもはその意味を認識していなくても、その言葉の概念を理解していなくても口にしていると、そう思いました。

そのように考えると、周りから入ってくる言葉の影響は、思っている以上に大きいということを、耳に入ってくる言葉をそのまま口にした子どもの姿から、改めて感じました。

今日の聖書箇所でイエスは、言葉が人を生かすものだということを教えてくれています。

イエスは「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と言います。

神から出る言葉によって生きる、聖書の言葉によって生きる力を与えられる、イエスはそのように言うのです。

それだけ言葉には重たさがあるということを、この聖書箇所から感じます。

言葉は影響し合うもの、自分が気づかなくても周りに影響を与えているということを、子どもと接するなかで改めて気づかされました。

些細な会話の中で出る言葉が、時と場合によっては良くも悪くも影響し合うものであるならば、

イエスが言われたように、周りの人を励ます言葉、お互いに許しあえる言葉を選んでいきたいと思います。

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