礼拝の話

2026/04/13 NEW

キリスト教教育週間1日目             校長 小西二巳夫

聖書 テモテの手紙Ⅰ 1章1~2節

小説『希望が丘の人びと』より

『希望が丘の人びと』というタイトルの小説があります。
この物語は読む人に一つの問いかけをしています。
それは「もしも」という接頭語、英語でいう「if」をどのように考えるかということです。
「if」は未来形、過去形のどちらにも使うことができますが、未来形と過去形では意味がまったく違うものになります。
ということは、この「if」を未来形にするのか、過去形にするのかによって、毎日の生活はまったく違うものになるということです。
もしあんなことがなければ私は今、全然違う人間になれていたのに、とただ過去を消したいとの思いを持つなら、それはそのまま現実を否定するもの、さらに自分自身を否定することにつながってしまいます。
そこからは未来志向、展望、ああしたいこうしたいとの気持ちは生まれてきません。
今を生きる力である夢を見ることも難しくなります。
私のような年齢の人間は、基本的には物事を考える時、過去に向かっていきますが、私には夢がない、これからの希望が持てないかというと必ずしもそうではないのです。

それを短い言葉で語っているのが、今日の聖書です。
今日の箇所には「私たちの救い主である神と私たちの希望であるイエス・キリストに任命され、キリスト・イエスの使徒となったパウロから」と書いてあります。
パウロという人は周りの人も、そして自分も忘れられないような酷いことをかつて大勢の人にした過去を持っています。
後悔のあまり絶望的になっても仕方なかったはずですが、パウロは消し去りたかったに違いない自分の「もしも」を、未来形に変えて、それからの人生を生き抜いたのです。
それができたのは、彼がイエス・キリストこそ希望ということを知ったからです。
パウロという人は、イエスを人生の希望にすることで、過去のさまざまな「もしも」に捕らわれてがんじがらめになるのではなく、未来に向かう「もしも」、希望と夢を持つことができたのです。
パウロにぜひ習いたいと思います。
それでは今日から始まる「2026年度キリスト教教育週間」を意味あるものにしていきたいと思います。

学校生活の様子

学校生活一覧へ

学校生活|高校一覧へ

学校生活|中学校一覧へ

礼拝の話一覧へ

中学・高校 学年の通信から一覧へ

クラブ活動一覧へ

▲ページトップへ