礼拝の話

2026/04/15 NEW

キリスト教教育週間3日目          校長 小西二巳夫

聖書 ルカによる福音書 22章59~62節

小説『グレゴリオ聖歌 ヒアー・カムズ・ザ・サン』より

『グレゴリオ聖歌 ヒアー・カムズ・ザ・サン』という、路上でグレゴリオ聖歌をギターで弾き歌う高校生が登場する話があります。
主人公のトシは化粧品の訪問販売をしている母親と二人で暮らす高校1年生です。
ある時、母親は健康診断の再検査の末、がんの宣告を受けます。
トシは思春期を迎え、母親ときちんと話さなくなっていった時期でした。
トシのそうした態度は母親の想定内だったので、自分の状態をしっかりと受けとめることができないだろう息子に他の人を介して状況を伝えることを仕向けていきます。
そのことを通してトシは、ようやく向き合わなければならない自分の課題から逃げ出さず、しっかり向き合うことができるよう、母親が自分の命を懸けて仕向けてくれたことに気づきました。
母親は自分がいなくなっても、これからの人生をどのように生きたらいいのかを、まさに自分の体でもって教えようとしてくれたのです。
イエス・キリストには弟子と呼ばれる人たちがいました。
キリストの弟子に選ばれた人たちだから、かなり立派な人たち、それなりの人たちだろうと思いますが、実際はたいしたことありませんでした。
ペトロをはじめ弟子たちは、口では一人前のことをいいながら、いざとなったら、自分の課題から簡単に逃げ出しました。
その弟子たちに、イエスは十字架に架かるという、まさに自らの命を懸けて、どのように生きたらよいかを示されたのです。
そのイエスに出会うことによって、ようやく弟子たちは自分の人生から逃げ出さない、目の前の課題にしっかり取り組む人へと変えられていきました。
弟子たちは目の前の課題に取り組む、そこにこそ、生きる喜びと意味があることを知った人になっていきました。
どのような時にも、問題を一緒に負ってくれるイエスという存在がいることを知る、それによって、人は本当の強さを持って生きることができると聖書は教えてくれます。
清和で学校生活を過ごすことは、そうしたイエス出会えるということです。
それによって、目の前にある課題から逃げ出さず取り組むことのできる自分になるということです。

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