清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2025/04/21
聖書 コロサイの信徒への手紙 4章5節~6節
わたしたちは、日々、自分以外の他者と生活を共にします。
そのような中で、わたしたちが引っ掛かりを覚えることの1つに「言葉」があるでしょう。
言葉は、わたしたちの口を通して出ます。
今朝の聖書の箇所には、「いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい」とありますが、この箇所に限らず、聖書を読んでいて面白いと思うのは、「こうしたらこうなりますから、こうしたらいいですよ」ということは少ない、ということです。
今日の箇所でいうと「塩で味付けされた快い言葉で語れば、お互いにわかってよいことになります」とは言わず、「塩で味付けされた快い言葉で語れば、一人ひとりに、お互いに、どのように話すべきなのかがわかるでしょう」というのです。
この「一人ひとりにどう答えるべきかがわかるでしょう」が大切なのだと思います。
家族であっても、友だちであっても、当たり前ですが、自分と他者は違います。
その違いを受け入れるためには、その時に必要な言葉を用いて、関わる、ということだとわたしは思っています。
調味料として塩を使う時、その量が多すぎても、少なすぎても、残念な味付けになることは想像できるでしょう。
その中で、この箇所では、「塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。そうすれば、一人ひとりにどう答えるべきかが分かるでしょう」とわたしたちに教えてくれます。
一人ひとりが違うように、その口から出る言葉は、発する方も受け取る方も、互いが快い言葉になることで、初めてコミュニケーション、関係性は作りあげていくことができます。
お互いにとって、快い言葉とはどのようなものなのか、また耳が痛い話でも、今の自分に必要な言葉は何なのかをしっかりと考えられる1年にしていきましょう。