礼拝の話

2025/10/08 

日本基督教団土佐嶺南教会          鍋谷仁志牧師

聖書 イザヤ書 43章4節

私は牧師になる前は、コンピュータの技術者でした。
実際、社会や日常の身近なところで、すでにAIが利用され、人間よりもAIやロボットの方が頼りになる、ドラえもんの世界のような未来が、現実に近づいていると感じています。
一方で、私にとって、意外なこともありました。
それは、すでに人間はAIに勝てないことが分かった後でも、チェスや将棋や囲碁の人気は、衰えなかったということです。
実はそれは、当然のことだったかもしれません。
そもそも、自動車が発明されて以後、人間はどうやったって機械より速く走れないのに、陸上競技を見て、私たちは感動します。
今やAIで作詞や作曲、あるいは演奏もかなりのレベルで、誰でも簡単にできるようになりましたが、それでもプロのミュージシャンの作った作品に私たちは感動します。
私たち人間は、人間が好きだし、人間のすることに感動するのです。
私たちは、人間を愛している、ということだなと思わされたのでした。

今日、読んでいただきました聖書箇所は、私の大好きな聖書の言葉です。
神さまが、私はあなたを愛している、と言われています。
これは、神さまが、この私のことも、愛してくださっているし、別のあなた、あの人やこの人のことも、同じように、愛してくださっていることなのだと、受け止めさせられます。
だから、私たち人間は、互いに愛し合うし、支え合うし、感動もするのでしょう。
皆さんは、ますます技術が進んでいって、今でも想像つかないような、新しい世界に、出て行くことになります。
そこでは、新しい価値観、考え方も生まれて来て、迷わされることもあるだろうと思います。
しかし、私は愛されている、あなたは愛されている、私たちは愛し合っている、という土台があれば、迷うことも少なくなるでしょう。
今日も、大切な友人、先生方と一緒に過ごす清和での一日。
大切にされている安心を感じながら、過ごせるようにお祈りしています。

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