礼拝の話

2026/05/18 NEW

校長 小西二巳夫

聖書 ヨハネによる福音書 21章17節

今から59年前、中学2年生の時に夏休みに同級生のNと島根県の松江出雲、隠岐の島に4泊5日の旅行に出かけました。
旅行3日目、日御碕灯台という灯台の近くの食堂で昼ご飯を食べていた時のことです。
Nが突然私に言いました。
「お前のお箸の持ち方、カッコ悪いで。お前とご飯食べていても全然おいしくない。そんな持ち方していたら、笑われるで。笑われるのは、おばちゃんやで」。
確かに、私のお箸の持ち方は小さな子どもの握り箸に近く、母からもさんざん注意されてきましたが、適当に聞き流していました。
私は日御碕灯台のそばの食堂で「お箸の持ち方」についてNから厳しい言葉を言われたのを忘れたことはありません。
去年の夏、名古屋に住むNと食事をした時に、中2の夏休みの旅行の話になり、Nにお箸の持ち方で厳しい言葉をいったのを覚えているかを聞きました。
Nはまったく覚えていないというのです。
もし誰かにそれを言われたとしたら、それは他の友だちではないかと言いました。
よく言われることに「された方はいつまでも覚えているけれど、した方は覚えていない」がありますが、まさにそれだと思いました。
しかし、今日のイエスの言葉から私の言葉の受けとめ方がまだまだ表面的であったことを思い知らされました。
Nは知らないとの言葉で、あのことはもう忘れたらいい、お前があの時、俺の言葉を真剣に受けとめてくれてうれしい、と言ってくれていたことに気づかされました。
その日その時、私とNとの間にイエスがおられたと今思っています。

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