礼拝の話

2026/10/14 NEW

日本基督教団土佐嶺南教会           鍋谷仁志牧師

聖書 ヨハネによる福音書 9章1~3節

今朝の聖書の箇所には、目の見えない人が出てきます。
当時のユダヤ社会には、生まれつき目が見えないとか、病を抱えている人はその人やその人の両親や先祖に何か罪があったからだ、という考え方が一般的でした。
日本でも、そんなふうに考えることが普通だった時代がありました。
そのような考え方が普通の世界で、イエスさまは神の業がこの人に現れるためである、と言われます。
この人が苦しんでいるのは神さまの業が、神さまの助けが現れるためだ、というのは原因と結果ということではなく、あなたが苦しんでいる時には、神さまが助けてくださるということなのです。
イエスさまの答えは、立てるように助けてあげよう、そして一緒に歩いて支えてあげよう、というメッセージです。
立てない人に立ちなさい、という言葉は時に厳しい言葉になりますが、立てるように助けてくれる、立てるまで待ってくれる、一緒にいて寄り添ってくれるということは心強いことでしょう。
あなたが自分を認められなくとも、私があなたを認めるから、あなたが自分を愛せなくとも、私があなたを愛しているから、とこんなふうに、神さまに愛されている者同士、今日も一緒に歩んでまいります。

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