清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2024/10/02
私は夏休みに県外に出かけたとき、「ヨシタケシンスケ展」を観ました。
展覧会では、スケッチや原画だけでなく、絵本を書く前の構想が書かれたメモが大きく展示されていました。
「なんだろう なんだろう」という絵本の執筆前にヨシタケさんが書いたメモには、「ウソっていいこと?悪いこと?」と一言、問いかけが書かれていました。
私はこのメモを見たとき、頭の中で「ウソは悪いことだ」という答えを思い浮かべました。
しかしこのメモには続きがあり、「いいウソと悪いウソって何?」「ついていいウソってなに?」とありました。
ここで初めて、私はウソというものについて、深く考えてみました。
ヨシタケさんのメモの冒頭には、このテーマを本に書くにあたって、読者に届けたいメッセージが書かれていました。
「いいウソつこう!」
ヨシタケさんはメモの中で、人を傷つけないウソはいいウソで、このウソはついて良い、と主張しています。
一方で引っ込みがつかないウソは悪いウソで、ついてはいけないと言います。
引っ込みがつかないウソと聞いて、私は過去に自分がついたウソを思い返しました。
子どもの頃、母のお気に入りの毛布に穴をあけてしまった時、「誰がやったの?」と聞く母に思わず「私じゃない」と答えました。
大学生の頃、喧嘩をした友だちが、「まだ怒ってるの?」と申し訳なさそうに話しかけてきてくれた時、仲直りしたいという気持ちがあったにも関わらず、「別に」と冷たく答えてしまいました。
本当は母にも友だちにも、「ごめんね」の一言だけでよかったのに、自分を守りたくて、強く見せたくてついたウソは引っ込みがつかなくなり、今も私の心の中にモヤモヤと残り続けています。
ヨシタケさんがこの悪いウソはついてはいけないという理由は、相手を傷つけるだけでなく、結局は自分も傷つけてしまうからだと、私は考えます。
人は様々な理由があってウソをつく時があるけれど、そのウソが誰かを傷つける悪いウソならば、口にださず耐える力が私たちには必要です。
しかし、良かれと思ってついたウソが、相手を傷つけてしまう時もあります。
そんなことが起こらないように、私たちはいいウソと悪いウソを見分ける力もつけていかなくてはなりません。
私たちは常に、誰かと関わり合いながらいきています。
自分の主張を出すことが必要な時もあれば、そうではない時もあります。
自分にとって苦しい出来事は、自分が前に進むために必要な試練であり、それは神さまが与えてくれたものです。
相手を傷つける自分のウソを飲み込む勇気と、相手を傷つけないために、いいウソと悪いウソを見分ける力を、神さまが与えてくれる試練で身につけていきましょう。
