礼拝の話

2024/06/04 

5月23日(木) 聖書 マルコによる福音書 8章23~25節 日本キリスト改革派 山田教会 高内信嗣牧師

以前、一度、「海は燃えている」というイタリア最南端の小さな島が舞台のドキュメンタリー映画についてお話ししたことがあります。

漁師の息子で12歳のサムエレ少年のごく普通の日常生活と、難民たちの悲惨な現実が交互に映し出されます。

バックミュージックもない、淡々とした映画です。

最後まで、難民たちと、サムエレ少年の日常生活は交わらずに終わります。

ここに一つのメッセージがあると思います。

私たちの生きている日常生活の背後に、悲惨な現実があるということです。

映画の中で、両者を結ぶのは、島でたったひとりのお医者さんです。

島の人たちの診察をする傍ら、島にやって来た多くの難民たちの検診や死に立ち会います。

最初に視聴した時は気付かなかったのですが、改めて気付かされた点がありました。

物語の中盤から、サムエレ少年に変化が起こります。

左目の弱視が見つかったのです。

島でたった一人のお医者さんは、少年の目の治療を行います。

右目をふさいで左目の働きを上げていくために矯正眼鏡をつけることになります。

改めて気付かされた点は、作品の公式ホームページをたまたま見たとき、このように書いてあったのを読んだからです。

サムエレ少年が目の治療をしていくことについて、「それはまるで、今まで見えていなかったもうひとつの目で、未知の世界を見るかのように」と記されていました。

劇中で、サムエレ少年と、難民は交わらないのですが、映画のメッセージ性が、サムエレ少年の目の治療に込められているように思いました。

今まで見えていなかったところから、未知の世界を見る。

今朝の聖書箇所は、イエスが目の見えない方を癒される物語です。

イエスに触れていただいた目の見えない人は、次第にぼんやりと見えていき、最後ははっきりと見えるようになりました。

ただの物理的なことではなく、私たちも、普段、隠されているものが、見えるようになっていかなければならない、ということではないでしょうか。

苦しみの中にある方々に寄り添われたイエスによって、私たちの目も、この世の悲惨に目を向けていく目へと開かれていくことを願っています。

私たちが日常生活を過ごす背後に、戦争があるということ、多くの難民や、苦しみの中にある方々がいることを覚えたいと思います。

この世界の悲惨な現実を見て見ぬふりをして、自分がよければそれでいいと思うことはできません。

私たちの日常生活の時間を割いて、世の中の悲惨な現実に目を向けることはできるのだと思います。

祈ることもできます。

今まで見えていなかったところに目を向けながら、世界のために祈り続けていきたいと思います。

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