清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2026/01/16
ルカによる福音書 23章33~38節
今の私たちの生活に欠かせないものの中には、「便利さや豊かさ」とはかけ離れた目的から生まれたモノがたくさん存在します。
「これは、こう使われるはずだった」「これは、こういう意味を持つものだ」そう思われていたものが、時間を経てまったく違う場所で生き始めることがあります。
スピンオフとは、本来の目的や人々が最初に抱いていたイメージとは違う形で、新しい意味や役割を与えられることです。
私が聖書を読んでいて、「あぁ、これ壮大なスピンオフやな」と感じたものがあります。
それは、どの教会にも、清和のチャペルにもついている「十字架」です。
十字架は、本来、罪人を苦しめて殺すための残虐な処刑道具でした。
殺されること、復活することを事前に聞いていたとしても、イエスが十字架に磔にされたとき、弟子たちにとってこれは、期待していた未来も、積み上げてきた時間も、「すべてが終わった」こう思える瞬間だったでしょう。
ところがどっこい、 処刑道具だった十字架は、偶然生まれた価値や、後から付け足された意味ではなく、キリスト教の「救いのしるし」として、世界中に広められていきました。
人の弱さや裏切り、思いもよらない出来事の中にあっても、 そこで終わってしまうとは限りません。
「もう終わりだ。」そう感じたそのときから、 思いもよらない形で、新しい物語が生まれることがあるのです。
私たちの人生には、 スピンオフであってほしいと感じる瞬間があります。
でも神は、人が「意味がない」と思ってしまうことを、簡単に消し去りません。
遠回りに感じる時間も、表に出ない努力も、私たちの中で確かに意味を持っています。
それを経験できる場所がまさに清和、清和での学校生活です。
ドラマやアニメのスピンオフがそうであるように、その章があるからこそ物語全体がより深くなります。
後になって振り返ったとき、「あの時間がなければ、今の自分はいなかった」そう思える日が来ることもあります。
私たち人間は生きていれば、必ずしんどい、苦しいと感じることがあります。
そんなときに、「十字架」がそうであったように、「終わり」に思えたところから、新しい意味が生み出されることを信じて、それぞれの今日を歩んでいきます。
