学校案内

校長挨拶

「清和のいちばんは生徒1人ひとりを『集団』ではなく『個人』でみてくれることです。」
を『ジグソーパズル』から考えてみました。

 

 

 

パズルが苦手な私
校長 小西二巳夫
校長:小西二巳夫
 私は小さい時からパズルの類が苦手でした。知恵の輪などはほとんど外せたことがありません。そういう私が珍しく熱中して作ったのが「ウォーリーを探せ」シリーズのジグソーパズルでした。ジグソーパズルは子どもに地理を教えるために作られた教材が始まりです。200年前にイギリスの木工職人が自分の子どもの遊び道具にジグソー(糸のこぎり)で板を小片に切ってパズルを作ったことから、そう呼ばれるようになりました。日本で最初にノーベル賞をもらった湯川秀樹さんは、幼稚園時代に1回やっただけでジグソーパズルの組み合わせがわかり、次からは手に取ったものを置くべき場所にどんどん置いていき、さらには裏向けにして組み合わせることができたそうです。

校長 小西二巳夫
校長:小西二巳夫

ジグソーパズルの特徴

 パズルのもともとの意味は「懸命に考える」ですから、ものごとを深く考えることが苦手だった私がパズルを苦手とするのも納得できます。ジグソーパズルの特徴を考えてみました。まず1つの作品に1つとして同じピース(片)がありません。たとえ似たような色合いや形をしていても、すべて違っています。そして時間をかけてピースの数がたくさんある作品を作ったとしても、1ピースでも欠けていれば完成したことにはなりません。ピースはだいたいが紙片ですから、それだけで価値があるとは思えません。でもその1片が失われてわかるのは、その価値と存在の大きさです。

 

ジグソーパズルと聖書の言葉
ジグソーパズルの特徴は聖書の言葉と重なります。「体は一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。......すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。......だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。目が手に向かって『お前は要らない』とは言えず、また頭が足に向かって、『お前は要らない』とも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。」(コリントの信徒への手紙から)。当たり前のことですが1人として同じ人はいません。ということは才能や力そして結果がその人の価値を決めるとは限らないのです。才能や力に優れていることはすばらしいことですが、それも1つの価値観や考え方に過ぎないことを忘れてはいけないのです。
清和は生徒1人ひとりを大切な「ピース」と考えます

 清和はジグソーパズルの台紙あるいはパネル・枠です。清和の学校生活は入学してきた一人ひとり(ピース)を代わりがない大切な存在・ピースとして受けとめることから始まります。その人だけが持っている存在の意味と個性を大切にし、その人のよさと個性を内側から引き出していきます。最近のジグソーパズルには平面的なものだけでなく、球状などの立体的な楽しい作品がたくさんあります。清和は1人を複数の目で違う角度から立体的に見ていきます。これを卒業した生徒の1人の言葉で表現すると「清和のいちばんは生徒1人ひとりを集団ではなく個人で見てくれるところ」となります。その学校で学んでいる自分を想像してください。いきいきと生活している自分が思い浮かんでくるはずです。
清和で幸せな学校生活をぜひ過ごしてください。

 

みなさんはどこまでも成長できる種を自分の中にもっています。
清和学園は女子校だから、小規模校だから、少人数教育だから、それを大きく育てることができるのです。

甘いトマトを食べました

 私は3月下旬に新潟から高知に引っ越してきました。少しでも早く慣れるためにチャペルの裏の家に住むことにしました。そこで学校の周りのお宅に新潟のお土産を持って引っ越しのあいさつに行きました。それから数日後、近所の方が訪ねてこられました。お返しに自分で作ったトマトを下さいました。そのトマトを食べて思わず、誰かのギャグのように叫んでしまいました。「甘~い」。びっくりするくらい甘かったのです。そこで次にお会いした時に甘いトマトの秘密をお聞きしました。すると「トマトに愛情をかけてやることです。ストレスを与えないことです。そうすると甘くおいしいトマトができます」といわれました。

 

一粒の種から1万3千個のトマトができました

 思い出したのが1粒のトマトの種から1万3千個のトマトの実を育てた人の話です。植物学者の野澤富雄さんは1万3千個のトマトを実らせました。野澤さんがそのためにしたことは特別なことではありませんでした。トマトの種にできるかぎりよい環境を整えたというだけです。大きなビニールハウスの中に大きな水槽を用意して、栄養分たっぷりの水を張って、温度と光の具合もちょうどよくして、そこに1粒の種をおきました。すると種から根が出て、水槽いっぱいまで伸びて、茎は日に日に木の幹ように太くなり、葉も生い茂り始めました。その成長に合わせて、ぶどうを育てる時のような棚を作っていきます。トマトの木が安心して大きくなるようにしたのです。その結果1万3千個の実がなったのです。

 

清和学園は信じることから始めます

 その種は特別優秀だったのでしょうか。野澤さんによると、いい環境にすれば、どんな種でもたくさんの実をつけることができるそうです。信じて育てれば、あっと驚くような数の実をならせるというのです。反対に、種によくない環境にすると、どんなにいいと思われる種でもちょっと伸びたところで、種自身がもうこれ以上は無理と成長をやめるのとのことです。これは清和学園の学校生活に通じます。清和学園は「信じる」を大切にしてきました。生徒一人ひとりの存在を、一人ひとりに無限の可能性があることを信じてきました。でも信じ続けることはむずかしいのです。そこで大切にするのが「神様が一人ひとりを選んで下さったと」の聖書の言葉です。神様が選ばれた一人ひとりを、私たちがこの子はよい、この子はダメと決めることはできないのです。

 

自分を信じる自分になる それが自分を大きく成長させてくれます

 清和学園は1粒の種が1万3千個の実を作るための環境がすべて整っているとは残念ながらいえません。足りないところがたくさんある学校です。でも一人ひとりを信じて受けとめ愛すること、大切にすることにおいて、他のどこよりも一生懸命になれる学校です。その清和学園で3年間、6年間を過ごす人にぜひしてほしいことがあります。それはみなさんが自分自身を信じるようになることです。自分の中に1万3千個、いやそれ以上の実を生らす可能性があると信じて学校生活をすることです。トマトによい種も悪い種もないなら、人によい人悪い人、できる人できない人などの区別などする必要はありません。みなさんはどこまでも成長できる種を自分の中にもっているのです。一人ひとりの存在を信じる清和学園でぜひ学校生活を始めて下さい。

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