礼拝の話

2023/03/09 

3月9日(木) 聖書 マタイによる福音書 5章8~9節 社会科 藤村

毎日、朝と帰りの礼拝で聖書の言葉に触れながら過ごした1年が終わろうとしています。

16世紀にルターが『新約聖書』をドイツ語翻訳したことにより、ラテン語の読めない一般の人々も聖書の言葉に触れられるようになったと、高2の世界史で学びました。

言葉で書かれたものを一緒に読むことで、価値観を共有することができます。

そのような、明文化されたルールの最たるものに、憲法があります。

憲法に記される基本的人権は、世間では「人権は優しい心で守るもの」と誤解されがちなのだそうです。

人権は誰もが持っている権利であり、優しさではなく、法律や条例、そしてそれを注視する私たちの「不断の努力」によって守らなければならないものです。

通常は守られる権利が、戦争などの非常時には守られなかったことは、歴史が証明しています。

だから文字にして備えておく必要があり、世界には人権に関する文書が数多く存在します。

日本に人権という概念が外から入って来たのは、明治維新の時代です。

1789年のフランス革命後に出された『人権宣言』第一条「人間は生まれながらにして自由である」は、天賦人権論として日本に広まり、高知でも自由民権運動が起こりました。

天賦人権は、天が与えた人の権利と書きます。

この考えが生まれたヨーロッパ、キリスト教社会では、天とは神を意味します。

絶対的な存在である神の前に、人間は平等である、と考えるのです。

昨日、3月8日は国際女性デーで、世界各地でフェミニズムのデモや集会が行われました。

女性と男性の平等な社会、清和は、それを教育により実現しようとした学校です。

貧しく生まれた女子への教育が守られていなかった時代に、アニー・ダウドが高知の2人の少女のために立ち上げた学校だからです。

私立の学校、特にキリスト教の学校で大切にされるのは、建学の精神です。

それは、神から与えられた恵みにより、教育活動が行われていると考えるからです。

清和の場合、今日の聖書箇所の「心の清い人々は、幸いである」「平和を実現する人々は、幸いである」が、これにあたります。

私たちは、その122年の歴史に連なる一人ひとりです。

このことに立ち返り、自分自身を省みます。

この1年、心の清い人、平和を実現する人として、はたして自分は十分な行いができていたのか、と。

年度末のこの時期、十分に振り返りのときをもち、お互いの権利を守り合う人としての自覚を高めつつ、新年度を迎える準備をしたいと思います。

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