礼拝の話

2020/03/19 

3月19日(木)聖書 箴言 1章7節 校長 小西二巳夫

今年度を終えるにあたり、みなさんに心の中にしっかりと持ってほしいことをお話します。

「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」というタイトルの本があります。

この本の言葉遣いは、小さな子ども向けになっていますが、ここに書かれていることを中高生や大人向けの言葉に置き換えると、そのまま学校や家での毎日の生活、国や世界の出来事に通じます。

「ずるをしない」はテストや提出課題でいうと、カンニングはしない、他の人のものをそのまま写さない、ということです。

「人をぶたない」は暴力がいかに体と心を傷つけるか、みなさんは知っているはずです。

言葉の暴力というものもあります。

気をつけていないと誰もがしがちです。

「人のものに手を出さない」これも当たり前です。

そして、世界中の子どもたちがおやつの時間に焼き立てのおいしいクッキーを食べることができたら、冷たいミルクを飲むことができたら、そして布団やベッドの上でぐっすり眠ることができたら、それだけで世界は間違いなく平和だということです。

例えば、各国の政府が使ったものは必ず相手の国に返す。

借りる時には貸してくださいと頼み、使ったものは元に戻し、散らかしたら自分で後片付けをしたら、世界はどんなによくなるでしょうか。

しかし、そうではない現実が私たちの周りにあります。

私たち自身もそうはなっていない部分があるわけです。

なぜそうなれないのでしょうか。

この本の知恵というのは、聖書がいう知恵と同じく「生きる力」のことです。

別な言い方をすれば、当然のことを当然のこととする力、簡単なことを当たり前にできる力です。

その力がない人が多いから、平和な世界にならないわけです。

当たり前のことが当たり前にできる力は、脳の前頭前野という部分で作られます。

この前頭前野が活発に働いている人が生きる力、知恵を持っているわけです。

人間にとって大事な前頭前野が働くためには2つの条件が必要です。

1つは、簡単と思われることを繰り返しすることです。

そしてもう1つは「作る」という動作、作業が必要だといいます。

簡単な一桁の足し算を繰り返しすると前頭前野が活発に働くそうですが、パソコンで考え、キーボードをうつ作業ではだめで、答えを手や指を使って紙に書くという動作、作業が必要だそうです。

幼稚園の砂場というのは、物を作り出す場所です。

トンネル、お城、泥団子…。

聖書も作るということを大切に考えています。

ですから、聖書の一番初めは創造物語になっているのです。

世界が作られること、人が作られること、そして人と自然の関係作り、それに人間の関係作りをお話にして書いているわけです。

ここではっきりしていることは、自分の人生が幸せになり、世界が平和になるためには、前頭前野を活発に動かし、そしてそういう人を増やせばよいわけです。

清和はみなさんに知恵を持った人、生きる力を持った人になってもらいたいと考える学校です。

自分を作るために、人間関係を作るために、喜びや涙を作るために行事を大切にするわけです。

そのみなさんにぜひしてもらいたいことは、当たり前のことを当たり前にする自分になってもらうことです。

それを、人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ流にいうとこうなります。

毎朝のチャペル礼拝には遅れないこと

讃美歌はしっかり歌うこと

スマホは必ず担任に預けること

礼拝中や授業中には勝手に寝ないこと

おはよう・さようならを言葉にすること

教室にゴミを捨てないこと

毎日普通に勉強し、レポートはきちんと出す

歩きスマホはしないこと

この他にもいくつもあるでしょうが、これらは決して難しいことではありません。

当たり前のことです。

知恵を持った人、生きる力を持った人になってもらうために、4月から3年生、2年生になるみなさんに、これまで以上に当たり前を当たり前に大事にしてもらいます。

聞き流すことは自分をだめにすることです。

しっかり自覚して新学期に臨んでください。

春休み中、事故に合わないこと、事件に巻き込まれないことを祈っています。

それでは4月にお会いしましょう。

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