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2018/12/03 

チャペル礼拝 校長のお話 12月

「新しい進化論、清和の進化論」      創世記1章26~28節 

 

NHKの番組に「ダーゥインがやってきた」があります。

動物や植物などの自然界の生物の謎や驚きを教えてくれる番組です。

タイトルの「ダーゥイン」は生物学者チャールズ・ダーゥインからとったものです。

ダーゥインといえばたいていの人は「進化論」という言葉を思い浮かべます。

そして進化論を説明しなさいといわれると、なぜが次のような説明がされます。

人間はサルから進化した。

二足歩行になって、脳が大きくなって発達した。

手が自由に使えるようになり、指でものがつかめるようになった…。

このように、多くの人は進化というのは何かが発達して、強くなった大きくなった、進歩したことと考えます。

しかしそれは必ずしも正確ではありません。

それを教えてくれているのが、カレン・ローゼンバーグという女性の生物学者です。しばらく前に「進化論」とは何かということについて、まったく違う角度からとらえた本を出しました。

ローゼンバーグは人間の進化について次のようなことを書いています。

人間は4足歩行2足歩行をするようになって体の内部構造が複雑になった。

そのために子どもを簡単に生むことができなくなってしまった。

人間は進化することによって超難産になった。

この順番でいくと、進化は必ずしもプラス、いいことではないことがわかります。

それをサルと人間の比較を通してわかりやすく説明しています。

ニホンザルの母ザルは自分の力だけで子どもを産むことができます。

けれど人間の母親は1人ではまず出産することができません。

産婦人科という専門のお医者さんや助産師さんの手助けが必要です。

時には1人や2人ではなく、大勢の人の手を借りないと産むことができないこともよくあります。

はっきりいうと、自分で自分のことができないのです。

このことから考えても、人間がサルや他の生物より優秀とは簡単にいえません。

生まれてきたサルの赤ちゃんと人間の赤ちゃんとの間には決定的な違いがあります。

サルの赤ちゃんは笑いません。

愛想が悪いのではありません。

笑えないのでもありません。

笑う必要がないのです。

サルの赤ちゃんを育てるのは母ザルです。

サルは1対1の関係で育っていきます。

つまり赤ちゃんザルは母ザルに愛想笑いをする必要がないのです。

ところが人間の赤ちゃんは、母親だけでなく父親や家族、それ以外の人も子育てに加わります。

それは人間らしく育つためには、母親だけでなく他の人の力や助けが必要だからです。

今は多くの赤ちゃんが保育園など、他人の手を借りながら育ちます。

そうすると、自分の面倒をきちんと見てもらうためには、必要なものをもらうためには笑うことが必要になっていきます。

笑うと可愛いといって大切にしてくれます。

笑わないと、この子可愛くないねと、相手にしてもらえないことにもなりかねません。

このことからも明らかですが、人間の進化とは、「助けて」といえる人になること、助けてもらえる人になることだということです。

私もそれを実感させられたことがあります。

今は30代後半のおじさんになった息子ですが、この息子は言葉を話すようになった1歳2か月まで、本当に愛想の悪い子どもでした。

近所の人があやそうとしても、ムスッとした表情のままでした。

そんな赤ん坊、誰も可愛いといってくれません。

このことで悩んだのは妻です。

妻は赤ん坊の息子を散歩に連れていく時、近所の人がいないのを確かめ、ベビーカーをバスタオルで覆って急いで出かけて行っていました。

後日談になりますが、言葉が出始めた息子はそれまでがウソのようによくしゃべり、笑うようになり、誰とでもコミュニケーションの取れる、愛想のいい子どもになっていきました。

それは大人になった今も変わりません。

周りの助けを引き出すのがうまいと、親の私がうらやましくなるくらいです。

人間の進化が「助けて」といえる人になることを、ローゼンバーグの進化論よりはるか昔から書いているのが聖書です。

聖書の一番はじめの創世記、その創世記の一番前に乗っている天地創造の話、ここには人間とはどういう存在か、どのように生きたらいいのか、という人間の本質について書かれています。

創世記1章の最初から1日ごとに何が作られていっています。

この箇所では6日目、最後の日に人間が作られています。

なぜ人間は6日目、最後の日に登場してきたのでしょうか。

それは人間が弱いからです。

人間が生きていくためには環境が整えられる必要があるからです。

他の存在に頼らなければ、助けてもらわなければ生きていけないからです。

創世記は私たち人間が、自分が弱い存在であることをまず何よりもはじめに自覚しなさいと書いているのです。

人間はついつい自分を強い、優秀な存在と勘違いをします。

でも誕生する瞬間、出産の時から助けしてもらわなければ生きてはいけないのです。

ということは、強さではなく弱さを毎日の生活の出発点にすることで、それをお互いの関係やコミュニケーションの中心に置くことによって、幸せに生きることができる、平和な世界を作ることができるわけです。

聖書はそれを大切なこととして教えてくれているのです。

おはよう、こんにちは、と自分の方からいうこと、前にいる人に無表情ではなく、ニコッと笑うこと、それができることが人間の進化だということです。

それは清和に学ぶ1人ひとりの進化でもあるのです。

今週1週間、さらなる人間的進化をめざしましょう。

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