礼拝の話

2019/05/09 

5月9日(木)聖書:創世記1章27節 日本基督教団土佐教会 成田信義

人間とはどのような存在なのでしょうか。
生物学、哲学、様々な観点からの答えがありますが、どれも本当のことなのでしょうし、それぞれに意味がある答えだと思います。
では、キリスト教、聖書はどのように答えるのでしょうか。
その代表的な答えの1つが今朝の聖書のことばです。
私たち人間は、神によって想像された存在、しかも、神ご自身に似せて、神にかたどって想像された存在だ、と答えます。
これは、創る側としての並々ならぬ意志と想いが込められ、一人ひとりが特別な存在として作り出された、ということです。
私たちは、自分と他の人と比べてしまうことがあります。
しかし、人と違って見劣りするように見える部分は、見栄えが良くなるように取り替えなければならないものなのでしょうか。
理想的なパーツで組み直せば、素敵な人間になるのでしょうか。
理想的な人が集まり、欠けや弱さを持つ人がいなくなれば、この世界は平和になるのでしょうか。
このような偏った人間理解や誤った理想に、聖書は「ノー」を突きつけているのだと思います。
人間は神にかたどって創造されたのですから、創造されたとおりに生きること、創造する側の並々ならぬ意志と想いに応えていくことを、初めから望まれて生かされているのです。
自分自身だけではなく、あの人も、この人も、です。
皆さん一人ひとりが未来に必要とされているからです。
私が私であるために、互いに補い合う私たちとなるために、今日一日を始めましょう。

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