礼拝の話

2020/01/17 

1月16日(木)聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ 4章節 社会科 山脇

1月は元日に行われる実業団のニューイヤー駅伝と2日・3日に行われる箱根駅伝に始まり、高校ラグビー大会、大学ラグビー選手権、高校バレーボール選手権大会(通称春高バレー)、高校サッカー選手権と、立て続けに大きな大会がありました。

どの競技にも共通することですが、一昔前と比べて選手の体格が大きくなり、技術力も年々上がり、様々なルーツを持つ選手が活躍するようになりました。

道具の進化も目覚ましく、特に正月三が日に行われた駅伝では、新しい技術を用いたシューズが話題になりました。

また近年、あらゆるスポーツでビデオ判定が導入され、反則か反則ではないか、インかアウトか、人間の目では正確に判定できない場合や判定が微妙な場合にビデオ判定を申告することができます。

更には、人工知能による判定が検討される競技もあるようです。

ただ、それでも人が審判をしていくのだろうなぁと思うのです。

それは、スポーツをしているのが機械ではなく人間だからです。

選手は様々な感情を抱きながらプレーしているのですから、その感情を宥めたり、抑えたり、時に叱責するのは、同じように感情を持ち、直接関わる人の役割だと思うからです。

機械はあくまで人のサポートをするためのものであって、機械が人を使用するのではないと思うからです。

技術の進歩は目覚ましいものがあり、新しい商品が次々と生み出され、私たちの生活はとても便利になりました。

新しい技術、機械、アイテムは私たちに多くの幸せをもたらしますが、私たちの身の周りには、必要なアイテムもあれば、必ずしも必要ではないアイテムもあります。

そのようなアイテムに振り回されることなく、上手に付き合い、使っていくことが、求められているように思います。

古代ギリシアの哲学者ソクラテスは、「どうしてこれほど私に不必要なものがあるのか」と言いました。

本当に必要な物はそれほど多くないことを、2500年前の哲学者はすでに述べているのです。

便利なアイテムを数多く集め、活用していくことは、私たちの生活を豊かにし、自分自身の成長にも繋がりますが、そのようなアイテムと程よい距離感を保ち、上手な活用の仕方を考えていきたいと思います。

今日の聖書箇所には「見えないものに目を注ぐ」とありました。

目に見えるものだけを追い求めるのではなく、目に見えないもの、私たちにとって、本当に大切なものは何かを求めていきたいと思います。

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