礼拝の話

2022/11/28 

11月25日(金) 聖書 ローマの信徒への手紙 14章5節 保健体育科 森田

私は青年海外協力隊という発展途上国で働く仕事で1年前、ウガンダという国で小学校の先生をしていました。

行く前はいろいろな印象を持っていたように思いますが、実際に行ってみるとウガンダという国は私の想像を軽く飛び越える国でした。

自然がとても豊かで作物は豊富、気候は一年を通して穏やかで過ごしやすく、首都の道路は整備され沢山の車が走り、オフィス街や高層ビルがあって、ショッピングモールなどが立ち並び、まさに一歩一歩「発展」している、それがウガンダという国でした。

そんな素敵なところが沢山あるウガンダですが、生まれてからずっと日本で住んでいた私にとって、なかなか理解し難い、「良くない」意味で想像を超えることも沢山起こりました。

慣れない文化、慣れない環境で心も身体も疲れ切っていた頃、ウガンダ生活を終えて日本に帰る先輩が「don’t need to understand, need to accept」と言いました。

「理解する必要はない。必要なのは受け入れること。」という言葉です。

主語はこの時ありませんでしたが、私に向けられた言葉でもありました。

理解できないことは沢山あるけれど、それを無理に分かる必要はない、理解できなくても、それらを受け入れることで自分の心が軽くなるよと、その人は言いました。

この言葉を聞いて以降、私の日常で起きるすべてのことが一変しました。

仕事の時間以外は、現地の人のペースに自分も合わせて生活を送るようになりました。

そうすると、最初は私を見て笑っていた人から「最初はどんな人かわからなかったから。あなたが良い人で良かった」と言われ、自分が受け入れようとすれば、相手もまた受け入れてくれるということを実感しました。

日々の生活の中で、時々理解できないことが起こりますが、それは誰かの行動や言葉だけではなく、言い表せない自分の中の感情だったりもするのではないでしょうか。

対立する考えや感情の中でついつい友だち、家族と喧嘩してしまうこともあると思います。

けれどそれぞれ違う人間なのだから、一人ひとり考えていることも、大切にしていることも違います。

今日の聖書箇所のように、自分が大切なものをしっかりと持つことは大切です。

そして、他の人の考えや大切なものを受け入れるということも大切です。

無理に理解する必要はありませんが、「こういう考えもあるよね」「この人にとってはこれが大切なんだ」と相手のことを受け入れることで、自分自身の気持ちにも少しゆとりができ、相手にも優しくなれるのではないでしょうか。

心にゆとりを持ってそれぞれが学校生活を送ることができますように。

今日も一日を過ごしていきましょう。

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