礼拝の話

2023/12/20 

11月29日(水) 聖書 マタイによる福音書 13章31~33節 日本キリスト教団 高知教会 松浦子基牧師

高知教会に来るまでにいた東京の教会の教会学校で、からし種を育てたことがあります。

からし種は、直径1mmほどの小さな種です。

実際に育ててみて、からし種は、小さいだけでなくて、育てるためにはとても、手がかかる繊細な植物だという事が分かりました。

そして、成長したからし種は、他の植物よりも何倍も大きくなり、2m、3mの高さに成長します。

イエスさまはこのからし種を、神の国にたとえられました。

神の国とは、神さまの恵みが私たちの生活の中で、たしかに実現している状態を表しています。

からし種のような弱く、小さいわたしたちも、神さまの恵みにより、大きく成長させられるのです。

また、からし種のたとえに続いて語られている、パン種のたとえについても、同じようなことが言われています。

パン種は、それ自体に何か価値があるという訳ではありませんが、パン生地の中にパン種が入ると、パン生地全体が何倍にも膨らむ力が秘められているのです。

パン種のように何の役に立つのかわからないものでも、その働きによって、必要が果たされ、結果として大きく膨らんだパンは、人々のお腹を満たすことになります。

このように、イエスさまが語られるこのたとえ話は、私たちが目の前の現実をみる見方を変えるのです。

自然災害や大事故の前では、人間の無力さばかりを感じることがあるかもしれません。

また、戦争やテロの現実の前では、平和を願う祈りはあまりにも弱々しく感じられるかもしれません。

しかし、その私たちの平和の祈りを、からし種、パン種としてみた時に、この現実も大切にするべきものなのだと受け取ることが出来るのです。

マザーテレサは「私たちは、大きなことはできません。小さなことを大きな愛を持って行うだけです」という言葉を残しています。

今の時代、人間の力や能力のみに頼ろうとする傾向が強まっている気がします。

国と国の争いごとを、科学技術、軍事力、経済力、そういったもので、全て簡単に解決しようとする考えが当たり前になってきました。

そのような考えでは、一人ひとりが本当に幸せに、また平和に暮らせることが蔑ろにされてしまいます。

そのような世の中で、わたしたちは各々の最善を尽くす必要があります。

そのうえで、最終的にはすべてを神に委ねることで、開かれていく世界や、平和が拓かれることがあることを、今日のからし種のたとえ話は語っています。

一人ひとりが自分自身として大切に生きることがゆるされる世界が神の国であるならば、その小ささ、弱さが大切にされ、歩むことがゆるされることが、まさに神の国の実現であるのです。

からし種に注がれている神さまの愛は、私たち一人ひとりにも確かに注がれているのです。

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