礼拝の話

2023/12/04 

11月28日(火) 聖書 ローマの信徒への手紙 12章18~21節 音楽科 三浦

今朝の聖書の箇所には、「平和に暮らす」ということが出てきます。

この12章の1節1節を読んでいくと、本当にこのように生活できたら、と思わされることばかりのように思います。

しかし、これを書いたパウロも、わたしたち人間は弱く、このようにはなかなか生きることができないものだとわかっています。

だからこそ、この18節では「できれば、せめてあなたがたは」と言っているように思います。

今日の聖書の箇所には、復讐については神の怒りに任せるように書かれています。

そして、悪に負けることなく、善をもって悪に勝つように、勧めています。

わたしたちは傷つき、倒れそうになることが多くあります。

その時に、相手なり、状況なりに、不平不満や抗議や、いろいろな思いを抱くことになりますが、傷ついた思いのままに、相手を傷つけることで、傷つくのは、自分自身であることも知っています。

痛みや傷つきを癒すためには、それを癒すための時間が必要です。

指に刺さったとげが抜けた後も、しばらく痛いままであるように、原因そのものがなくなれば、それで終わりか、というとそうではないでしょう。

でも、その時に、その痛みを任せる場所があれば、わたしたちはその痛みと共に、また歩むことができるのだと思います。

イスラエルとハマスの戦いは、終わりません。

お互いの痛みをぶつけ合った末に起こった戦争でもあります。

そこには、多くの悲しみが横たわることになりました。

わたしたちが、わたしたちの力で何かをできると思ったときに、そこに争いと痛みが、そして恨み、復讐の想いが沸き上がることを、わたしたちは目の前で見ることになりました。

今朝の聖書の箇所の少し前には、「あなた方を迫害する者のために祝福を祈りなさい」とあります。

そんなことは、思えない、と思うことが当然です。

でも、そのようにしなさい、とあります。

そのことが、そのようにできないわたしたちを神さまはご存じだということです。

だからこそ、その怒り、悲しみ、思いのすべてを神さまに委ねて、善を行う心を育てなさい、といいます。

聖書は一貫して、愛の神と裁きの神、この二面性を持った神が、わたしたち一人ひとりを大切にいつくしんでいることを伝えます。

私たちも、互いに大切にしあうことが求められています。

今日1日も、しっかりと、自分自身を見つめ、また、お互いによい1日になるように、大切にしあうことができる1日となるように祈りたいと思います。

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