礼拝の話

2022/12/20 

12月12日(月) 聖書 イザヤ書 53章1~8節 社会科 山脇

今日12月12日は「今年の漢字」が発表される日です。

過去に戦争が起きた年の「今年の漢字」を調べてみると、戦争の「戦」が選ばれていました。

今年は悲しい出来事がクローズアップされる、そんな年なのかもしれませんが、決してそのような出来事ばかりではなく、希望や喜びを与える出来事もたくさんあったことを、今、思い起こしています。

これから迎えようとするクリスマスを、もし漢字一文字で表すとしたら、皆さんは何を選びますか。

たぶん、一人ひとりが思い描く、面白い答えが返ってきそうです。

今日の聖書箇所は、旧約聖書の時代、預言者イザヤがやがて来られる救い主について記した箇所です。

やがて来られる救い主、イエス・キリストについて、「見るべき面影はなく」「輝かしい風格も、好ましい容姿もない」「軽蔑され」「見捨てられ」「多くの痛みを負い」「病を知り」「屠り場に引かれる子羊のように」「毛を刈る者の前に物を言わない羊のように」「捕らえられ」「裁きを受け」「命を取られた」とありました。

ここから、私たちはどのような漢字を思い浮かべるでしょうか。

何だか悲しく、寂しい、哀れなイメージがするので、そのような漢字が思い浮かびますし、なかには残酷の「酷」という漢字を思い浮かべる人もいるかもしれません。

預言者イザヤは、やがて来られる救い主を輝くような王、栄光の神というイメージで記しませんでした。

きらびやかに着飾っているわけではなく、また、「私がお前たちを救ってやる」といった勇ましさもありません。

悲しみや寂しさを抱え、最後は人々に見捨てられて、捕らえられ、裁きを受けた、そのような方だとイザヤは記します。

家畜小屋という最も環境の厳しい場所に生まれたイエスは、民衆とともに喜びや悲しみを感じながら日々の生活を送り、最後は多くの痛みと私たちの罪を背負ってくださった救い主です。

「私がお前たちを救ってやる」という救い主ではなく、「疲れた者、重荷を負う者は私のところに来なさい。休ませてあげよう。」と、私たちに寄り添ってくださる救い主です。

イエス・キリストは、まさにイザヤが記した救い主の姿そのものだったのです。

そしてイエスが十字架にかかられたことによって、私たちは罪から解放され、生かされる者となったのです。

つまり、イエスは「悲しい」「寂しい」「苦しい」「哀れ」「残酷」という現状を、その身をもって「希望」、「救い」、「光」に変えられたといえるのではないでしょうか。

クリスマスを漢字一文字で表すとしたら、皆さんは何という字を思い浮かべますか。

私は喜びの「喜」という漢字と、変化の「変」を思い浮かべます。

それは、イエス・キリストによって、私たちの罪が赦され、その喜びのなか、イエスの愛によって、神の愛によって、生かされる者へと変えられたからです。

もうすぐクリスマスを迎えようとしています。

イエス・キリストがこの世に遣わされた意味を心に留めて、喜んでその日を迎えたいと思います。

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