礼拝の話

2022/12/20 

12月9日(金) 聖書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 16章14節 数学科 片山

大学に通いながら一人暮らしをしていたとき、勉強やアルバイトで忙しい中でも、頑張っていたのは自分でご飯を作ることでした。

私の母は調理師なので、小学生くらいから夜ご飯の手伝いをしたり、休日にたまにお菓子を一緒に作ったりもしました。

母が使っていたおさがりの立派な包丁をもらった時には大喜びしたことを覚えています。

私が通っていた学校は理系の大学でほとんどが男子だったので、友だちで自炊をする人はあまりいませんでしたが、高校から一緒に同じ大学にいった友人がいて、よく私の家に遊びに来て「何か作って」と言われました。

その時に何より難しいのは食材を選び、メニューを決めることでした。

何が好きだっただろう?今日はどういう気分だろう?食べられないものはあったかな?家に何の食材があったかな?何を買い足せばいいかな?家に飲み物はあったかな?何時に食べたいかな?どうしたら喜んでもらえるかぐるぐる考えます。

いざ作ってみると、あんなに思いめぐらしていたのに、みんなお腹を空かせている大学生なのであっという間に平らげてしまいます。

そのガツガツと夢中になって食べる姿は気持ちがよく、本当に幸せそうでした。

「いただきます」「おいしいね」「うまい!」「ごちそうさまでした」

この言葉を聞くために私は頑張ったんだなと思います。

誰かのためにご飯を作ること、そして誰かと自分の作ったご飯を食べることは本当に幸せな事だと感じました。

大学生活が終わり今になって思うのは、相手のことに考えを巡らしている時間が非常に大切だということです。

今日の聖書箇所には「何事も愛を持って行いなさい」とあります。

この聖書箇所は私の家の日めくりカレンダーにある御言葉です。

日めくりカレンダーなのにめくり忘れて、8月のこの御言葉で止まっていて、毎朝この御言葉を見ます。

見るたびに、愛のある行いとは何だろう、そして私はその行いを生徒に、また周りの人にできているだろうか、と毎日思わされます。

清和1年目の私、日々悩みの中で生活しています。

悩みは尽きませんが、その悩んでいる時間が本当に大切なのです。

悩みはないほうがいいかもしれません。

そして悩みからは目をそらしたいものです。

ですが、その悩み一つ一つに愛を持って向き合うことが大切です。

それが相手のことを考えるということです。

家の日めくりカレンダーがどういうわけかずっとめくられず、8月のままになっているのはこのことを考えるようにと神さまの行いがあったからかもしれません。

清和で働くようになってあらためて、相手の幸せを考えている時間は自分も幸せな気持ちになることに気づかされました。

悩みと向き合うことで幸せへの道は開かれることを今実感しながら過ごしています。

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