礼拝の話

2022/12/12 

12月8日(木) 聖書 テモテの手紙Ⅱ 1章5節

5年ほど前、神戸での寮生活で、1つしかないテレビでいつも阪神タイガースファンの方が、野球を見ていました。

他に見たい番組がありながらも毎日仕方なくその方とタイガースの試合を見ていました。

すると次第にタイガースに惹かれていき、自分も応援するようになりました。

今までもプロ野球の球団がある県で暮らしてきましたが全く興味がなかったのにも関わらず、なぜかタイガースファンの熱意と愛情に惹かれ、私もタイガースが好きになってしまいました。

その寮生活の期間、その方に連れられて何回か「甲子園球場」へ行きました。

何とも言えない独特な雰囲気です。

多くのタイガースファンたちが熱狂しています。

その姿を見ながら、感心することがいくつかあります。

タイガースファンはどんなに負け続けても、チームや選手たちを愛し続けます。

滅茶苦茶文句を言いますが、応援することはやめません。

また、甲子園球場におじいさんやおばあさんたちが、お孫さんに手を引かれながら応援に来ていらっしゃる様子をよく見ることができるそうです。

お年寄りの方がよく選手やチームのことを知っているので、いろいろと子どもたちに話をすることでタイガースファンの伝統が継承されていくのだと思います。

こんなふうに世代を超えて、一緒に喜びや楽しみ、また話題を共有することは本当に大切なことだなあと思います。

野球だけでも、これだけすばらしい人間のつながりができるわけですから、人間が生きていく上で大切だと思う、またこの世界を守っていくために大切だと思う、もっと心の深いところをみんなで共有できるなら、どんなに素晴らしいことかと思います。

今日、お読みしました聖書の言葉はパウロがテモテという弟子に話しているところです。

あなたの持っている信仰は、もともとおばあさん、お母さんから受け継がれてきたものなのだと言っています。

テモテは幼い頃、若い頃から、聖書の言葉に育てられてきたのでしょう。

そのことにより世代を超えて、信じる心、愛し合う心が継承されていったのです。

そのように引き継がれていった信仰の出発点はイエスにあります。

この清和は聖書の精神を土台にしています。

イエスは一人ひとりの存在を大事され、この言葉によって、一人ひとりにしっかりとした役割があることを明確にされました。

私たち一人ひとりが神に造られた人間らしくなるために、他者と手を取り合い、平和を作り出していくために、イエスご自身がそのように歩まれたのです。

人を否定せず、大切に受け止めてくださったのです。

この精神は世代を超えて、この今、私たちに受け継がれてきています。

私たち一人ひとりがこの大事にされてきたイエスの言葉に生きるならば、必ず、自分を認めることができる。

自分の役割を見つけることができるはずです。

そして一緒に、同じ思いを持って、この世界を彩っていくことができるならば、それはなんと素晴らしいことでしょうか。

皆さんのこれからの学びには無限の可能性が広がっています。

未来を見つめながら、今日の目の前にある試験のひと時も用いられることを願っています。

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