礼拝の話

2019/12/02 

12月2日(月)聖書 ルカによる福音書 2章8~12節 校長 小西二巳夫

キリスト教は今年、昨日121日の礼拝からアドベントに入りました。

アドベントはキリストの誕生を祝う1225日までの4週間の準備期間です。

普通誕生祝いをするのは、その人の成長や長生きを願い、祝うためですがイエス・キリストは死んで300年以上経ってからお祝いされるようになったのです。

そこから考えても、クリスマスが普通の誕生祝いでないことがわかります。

そこで考えたいのは、イエスの誕生を祝う意味と目的は何か、です。

宮本輝の小説に「骸骨ビルの庭」があります。

戦争で焼けた大阪の十三という町が舞台で焼け残り「骸骨ビル」と名前がつけられた建物、そこで戦争孤児になった子供たちを育てようとした男たちの話です。

阿部という青年が「人間は変われない生き物なのだ」といいます。

私たちは生きていて、よく思うことがあります。「自分はこれでいいのだろうか」。

清和に入学することを決めた理由が今の自分を変えたい、という人が少なからずいます。

でも、学校生活を続ける中で、その決意もいつの間にか緩んでしまう、せっかく決意したのにそれを忘れたように、毎日をいい加減に過ごして、中学までの自分と何も変わっていないことに気付いてがっくりし、落ち込むことになります。

そういう弱さを持った私たちに、阿部青年の続きの言葉はぐっと響いてきます。

「自分の人生を決める覚悟は、一度や二度の決意で定まりきれるものではない。何度も何度もこれでもかこれでもかと教えられる。叱咤され、励まされ、荒々しい力で原点にひきずり戻される。そのたびに決意を新たにし続けて、やっと人間は自分の根底を変えていくことができるのだと思う」。

1回や2回失敗したからといって、自分の中身が思い通りに変わるはずがないのです。

失敗し、そのためにもう自分はダメだと自己嫌悪になったりします。

その時に、清和の生徒には戻れる場所、原点があるのです。

それは自分が選んだから清和に入学できたのではない、神が選んでくれたから入学できたという聖書の言葉です。

その原点に立ち戻ったときにわかることがあります。

人間は励まされ助けられながら、それを繰り返しながら、ようやく変われるのです。

そして、一人ひとりを清和の生徒に選んだ神が、何を一番望まれているかです。

それはこの世界が平和になることです。

お互いの存在や違いが大切にされる社会になることです。

素直になるというのは、人が変わるためには絶対に必要なことです。

素直になることによって初めて望む自分に変わることができるのです。

そこに毎年赤ん坊のイエスの誕生をお祝いする意味があります。

イエス・キリストの誕生を祝うクリスマスは、感覚的には86日と同じです。

194586日に広島に原子爆弾が落とされました。

犠牲になった多くの人のことを忘れないために、今も苦しみの中にある人のことを忘れないために、そして再びそうした愚かな行為を人間が二度と行わないために、平和の出発点とするために毎年86日に記念式典を行います。

イエス・キリストの誕生を祝う1225日もそれと同じです。

赤ん坊のイエス・キリストの誕生を祝うことを通して、私たちが自らの弱さと愚かさに気づき、そして平和を作り出すための新たな出発点とする日なのです。

そこに毎年クリスマスを祝う目的があります。

その意味と目的のために、今年のチャペルクリスマスにしっかり取り組みましょう。

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