礼拝の話

2024/03/28 

3月11日(月) 聖書 コロサイの信徒への手紙 4章4~6節 音楽科 三浦

今日は3月11日、東日本大震災から13年の日です。

何回かこの礼拝でもお話をしてきましたし、ニュースなどで知ることが多くあるでしょう。

わたしたち、実際にその震災にあっていない者にとっては、このニュースはある意味「単なるニュース」でしかありません。

しかし、この震災を体験した人たちにとって、このことはニュースではなく、まさしく現実に起こったことで、忘れたくても忘れることなどできるはずもないことです。

高知市を津波被害から守るために作られている三重防護の防波堤、防潮堤の完成は2031年だと先日ニュースで聞きました。

それまでに、南海トラフ地震が起こらないとは言えません。

そうであるならば、やはりわたしたちは、常日頃から、地震が来ることを前提とした生き方をする必要があるのだと思わされます。

安全でクリーンなエネルギーだと言われる原発は、自然の力を前にもろくも、崩れ、人が住むことができない土地を生み出し、廃棄のために膨大な場所と時間を必要としています。

広島、長崎、と2つの土地に原爆を落とされ、多くの人の命を失った日本で、原爆の材料になる物質を使って電気を生み出す原発を平然と使っているわたしたちがいます。

東北、特に福島の浜通り、原発事故の起きた場所ですが、ここで生きる人たちは「原発事故さえ起きなければ」という思いを持ち続けて生きることを余儀なくされています。

震災から10年以上が経ち、各地で「一区切り」や「復興は進んだ」という表現が多くなったように感じます。

でも、本当にそうでしょうか。

わたしたち、高知に生きる者は、必ず自分が生きている、今この時に、自分たちも大震災に遭うということを思い続ける必要があるのだと思います。

そのことが、この13年前の東北の大震災、そして1月に起こった能登半島地震で、傷つき、痛み、苦しみを担い続けている人たちと共に歩むということなのだと思います。

多くのことができるとは思いませんが、自分ができることをすることが大切でしょう。

今朝の聖書の箇所では、「時をよく用いる」ことについて語られています。

わたしたちは、それぞれ神さまのご計画の中で活かされていますが、一人ひとりに与えられた時をよく用いることを求められています。

そのために、学んでいます。

今日1日、3年生を送るための大切な時間を過ごすためのよい準備の時としましょう。

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