礼拝の話

2024/03/29 

3月18日(月)3学期終業礼拝 聖書 ヨハネによる福音書 1章1~4節 校長 小西二巳夫

江国香織という作家の短編に「デューク」があります。

物語は「デュークが死んだ。私のデュークが死んでしまった。私は悲しみでいっぱい だった」という言葉から始まります。

主人公は21歳の女子大生です。

デュークというのは主人公の家で家族の一員として長い間共に暮らした犬です。

デュークが老衰で死んだ次の日、主人公はバイトのために家を出た途端、涙があふれてきて、移動中の電車の中でも、人目もはばからずに泣き続けます。

その主人公に年下と思われる少年が「どうぞ」と席を譲ってくれました。

「ありがとう」が口から思わず出て素直に座席に座り、主人公は少年と一日過ごすことになります。

主人公は少年との出会いを通して、そして別れる時に言われた言葉に慰められたのです。

少年と一日過ごすことで 長年一緒に暮らしたデュークに自分が、いかに励まされてきたのかをあらためて知ることになります。

そして、デュークによって自分の心が育てられたこと、人間として成長させられことを知り、死んだデュークがただいなくなったというのではなく、むしろデュークとの関係が永遠のものになったということに気づかされます。

江国香織の「デューク」から、あらためて教えられることは、言葉には力があることです。

言葉には 命 があり生きていることです。

人を慰め、励ますと同時に、育て、人を生かす力が言葉にはあるのです。

今日の聖書から、そうしたことがよくわかります。

キリスト教の学校である清和は言葉を大切にします。

言葉によって人は生きることができる、そして死ぬことを、聖書を通して信じているからです。

「デューク」からわかることは、神はその人の今に必要な言葉を与えてくださるということです。

しかもそれは嬉しいことを通してだけではありません。

主人公は大切な存在を失いましたが、そのことを通して、見知らぬ少年から、どのように生きたらいいのかを教えられたのです。

時には絶対起こって ほしくない出来事によって、今の自分が毎日考えなければならないことは何か、何に 取り組めばいいのかを示されることもあるのです。

悲しい涙が出て仕方がないような出来事の中で、初めて出会えることもあるのです。

それを主人公はその一日の出来事を通して知りました。

清和で学び働く人私たちは、それをどのような形で知ることになるのかというと、それは3年間の学校生活を通してです。

毎朝の礼拝の言葉で、それぞれの授業の中で、一緒に一つのことに取り組む中で、そうした言葉に出会うのです。

その言葉を大切にすることが求められるのです。

そう考えると、毎日の学校生活をおろそかにすることはできなくなります。

そのすべてを大切にしたくなってきます。

その思いを心に深く刻みながら2023年度を終えたいと思います。

3週間後の4月から、清和の新しい年度、新しい生活が始まります。

2024年度の始業礼拝でさらに成長した自分に出会いたいと心から願いたいものです。

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