礼拝の話

2024/05/09 

5月1日(水) 聖書 イザヤ書 43章1節 家庭科 青柳

みなさんは自分の名前は好きですか。

実は私は小学生のころ自分の名前が嫌いでした。

小学生のころ、自分の名前の由来を親に聞いてきなさいという宿題が出ました。

私は、自分の名前の由来を知らなかったので、早く親に聴きたくワクワクしながら帰宅したことを覚えています。

家に帰り、仕事中の母に「私はどうして「舞」という名前なの?」と聞くと、母は一言「青柳舞という画数がとてもいいって本に書いてあったから」と言いました。

なんだか、思っていたような「想い」のこもった名前じゃないことに少しがっかりしました。

そして、名前が嫌いになる決定的な出来事が起こります。

それは、クラスで自分の名前の由来をみんなの前で発表した時のことです。

他の子の発表を聴いていると、「人に愛され、たくさんの愛を周りの人に分け与えてほしい」「広い世界に羽ばたいてほしいから」など、親の「こんな子に育ってほしい」というような思いのこもった発表の後に、「ただ画数が良かったから」という何ともむなしい理由を発表しなければならなかった時の惨めな気持ちが相当辛かったのです。

そのころからです。

今まで名前で呼んでくれていた友だちに、「名前が好きじゃないから名字で呼んで」というようになりました。

その後も、名前を嫌い続ける日々が続きました。

しかし、名字からのニックネームも気に入っていましたし、いつの間にか名前を嫌っていたことも忘れていました。

そんな私が、自分の名前を考え直すきっかけになった歌があります。

安達充さんという方が歌った、「世界で一番素敵な言葉」という歌です。

その歌詞を聞いていると、何の思いもこもっていないと思っていた自分の名前が、とても尊いものだと思いました。

「画数が良い」というのは、文字や漢字からは意味を読み取れなくとも、両親からしたら、私が幸せな人生を歩むようにと数ある漢字や文字の中から選んでくれたものであり、素敵な名前でした。

名前には「想い」が込められています。

先ほどの歌詞にあったように「自分が愛されて生まれたこと、必要とされていること」を確認できる一番身近な言葉のように感じます。

また、この世界に命が与えられ、生きる意味、使命が与えられていることにも気づくことができるのではないでしょうか。

私は自分の名前を好きになれなかった時期がありました。

しかし今では、自分の名前はこの名前以外は考えられないし、両親の思いのこもった世界で一番素敵な言葉だと胸を張って言えます。

当たり前のように日々私たちは名前を呼ばれています。

家族、友達、そして、今日の聖書箇所には「あなたはわたしのもの。私はあなたの名を呼ぶ」とあります。

そして、この箇所の後には、「私の目にあなたは価高く、貴く、私はあなたを愛している」と続きます。

自分の名前を大切に、そしてほかの人の名前を呼ぶことを大切にしていきたいと思います。

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