礼拝の話

2020/07/22 

7月22日(水)聖書 テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 5章16~18節 日本基督教団 土佐嶺南教会 鍋谷仁志牧師

「笑う門には福来る」ということわざがあります。

笑う人のところには福が来る、良いことが来る、という意味のことわざです。

今日の箇所では「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」と言われています。

でも、これは本当にできるのだろうか、と考えました。

本当は笑いたくないのに無理に笑う。

本当はしんどいのにしんどくないふりをする。

私はわりとそのように表面を取り繕うところがあります。

平気じゃないのに格好つけて平気なふりをすることが多いのです。

なので、最初はこの聖書の箇所にしんどさを覚えました。

しかし、この聖書のこの言葉の意味はそういう意味ではなかったのです。

無理にそうしなさい、そうしなければならない、ということではなく、無理にそうしなくていいよ、と神さまは言われているのです。

そもそも神さまは私が隠していることも、私以上に知っておられます。

だから神さまの前では自分を取り繕っても仕方がないのです。

そのことに気づいてからは少し楽になりました。

そのままの私で神さまの前に出る私に神さまが言われます。

あなたができなくても、神の御子イエスが、あなたがそうできるようにするから、と。

今喜べない理由。

祈れない理由。

感謝できない理由。

笑えない理由。

その理由を、それが何であれ、神の御子イエスが代わりに負ってくださる、と。

だからあなたは安心していいんだよ、と私があなたを助ける、という神さまのメッセージです。

そう気づかされてから、しんどく感じていたこの聖書の言葉が安らぎの言葉に聞こえるようになりました。

十分ではなくても構わない、自分のできることを精一杯すればいい。

あとは神さまがしてくださいます。

チャペルから始まる皆さんの一日も、こんなふうに励ましを受けています。

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