礼拝の話

2022/10/26 

10月25日(火) 聖書 マタイによる福音書 26章31~34節 社会科 山脇

昨日は「国連デー(United Nations Day)」でした。

1945年10月24日に国際連合が発足したことを記念して、この日は「国連デー」と定められています。

第二次世界大戦が終結して間もない時期に国際連合は発足したのですが、この組織の目的については国際連合憲章に記されています。

国際連合憲章では、国際連合の目的を国際平和と安全を維持することと定めています。

そして、加盟国は国際連合憲章に従って義務を誠実に果たすことや、国際問題を解決し、人権および基本的自由の尊重を促進するために協力することが求められています。

その加盟国の行動を調整することが国際連合の役割です。

また国際連合憲章では、加盟国の主権平等を認めています。

現在の日本国憲法は、この国際連合憲章の理念を基にして作られた憲法でもあります。

どんなに理想と思われる仕組み、枠組みを考え、それが実現しても、それでもベストには至らないのではないだろうかと不安がよぎったり、ベストを目指しても、ベター、つまり「最高」ではなく「より良い」が限界なのではないだろうかとも思ったりしてしまいます。

今日の聖書箇所には、人の不完全さと弱さについて記しています。

イエス・キリストが十字架にかけられようとしていたその晩、イエスは弟子たちに対して「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく」と言われました。

「みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」とペトロは断言しましたが、これに対してイエスは、「あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう」と言われます。

それでもペトロは胸の中にある熱い思いを吐き出しました。

しかし、イエスが捕らえられるとペトロの中に不安がよぎります。

イエスが最高法院で裁判を受けている時、建物の外にいたペトロに周りの人が「お前はイエスの仲間だろ」と言い出すとペトロはとっさに「知らない」と言いました。

しかし周りの人はなおもペトロに「あなたもイエスと一緒にいた」と問い詰めると、ペトロはさらに「何のことか分からない」、最後には呪いの言葉さえ口にしながら「そんな人は知らない」と誓い始めます。

その時鶏が鳴き、ペトロは泣き崩れました。

イエスはペトロの熱い思いと、同時にペトロの弱さを十分にご存知でした。

このペトロの姿は、私たちの姿でもあると思います。

人はその弱さゆえに罪を犯してしまうのですが、しかし、イエス・キリストはその弱さを十分にご存知なのです。

弱いがゆえに悩む私たちを、しかし、その弱さを自覚して私についてきなさい、私とともに歩みなさい、とイエスは言われるのです。

弱さを認めることで平和の内にあなたがたは歩めるとイエスは言うのです。

弱さを知ることで、私たちはお互いに支え合い、足りない所を補い合うことができ、そこに平和が生まれるということをイエスは私たちに教えてくれています。

聖書は弱さを認めること、弱いものに目を向けることで、私たちの間に平和が訪れるということを、イエス・キリストを通して私たちに教えてくれています。

平和を実現するための、ベストな仕組み、枠組みが何なのかは分かりません。

だからこそ、私たちは考え、学び、行動していくのだろうと思います。

今は「ベター」な考え、学び、行動をかもしれませんが、前よりは良い「ベター」、そして「ベスト」に近い「ベター」へと歩んでいきたいと思います。

学校生活の様子

学校生活|中学校一覧へ

学校生活|高校一覧へ

学校生活一覧へ

礼拝の話一覧へ

中学・高校 学年の通信から一覧へ

クラブ活動一覧へ

▲ページトップへ