礼拝の話

2022/10/31 

10月27日(木) 聖書 エフェソの信徒への手紙 2章4~6節 日本キリスト改革派 山田教会 高内信嗣牧師

『バベットの晩餐会』というデンマーク映画があります。

この映画の舞台は、厳格な牧師と二人の娘たち、そして村人たちが一生懸命に聖書の教えに従って生活していた、というところから物語が始まります。

二人の娘は主に仕える道を選び過ごし、やがてその父、牧師も亡くなります。

父親亡き後、娘たちが小さな共同体を守っていくことになりました。

父親の教えに従い、厳しく、慎ましい生活を維持しようと懸命に努力しますが、村人たちがだんだん年を取るにつれ、いろいろなことで不平不満をこぼすようになってきました。

村人のために食事を作りますが、贅沢をしてはいけないという教えを守るため、質素なもので、おいしくないので村人たちは苦々しい顔で食べます。

このことが繰り返されていき、少しずつ人々の生活に影を落としていくなか、フランスの動乱の中で家族を失ったバベットという一人の女性がこの小さな集落に逃げてきます。

娘たちはデンマーク語もできず、素性もわからないこのフランス人女性を引き取ります。

彼女は料理ができたので、娘たちや村人の給食を担当することになり、村人たちはバベットの給食をとても喜ぶようになりました。

やがて、牧師の生誕100周年を迎えるということで、ささやかな記念会が開かれることになった時、バベットは宝くじを当てて、多額の賞金を手にします。

そして、その記念会のための晩餐会を、フランス料理で作らせてほしいと願うのです。

二人の娘は慎ましく暮らすことがモットーなので、そのような贅沢はしてはいけないと言いますが、結局はバベットの熱意に負けて、料理を任せることにします。

記念会の準備のために次から次へと運ばれてくる得体のしれない食材の数々に、娘たちは「これはサタンの誘惑かもしれない。バベットの作る料理を絶対に喜んではいけない」と村人たちを諭します。

日頃のいがみ合いをやめて、一致団結して、苦虫をかみつぶすような顔をして食べようと、記念会の晩餐会に臨むのです。

当日、人々の前に用意されたのは、とびきりな一流のフランス料理でした。

村人たちは示し合わせた通り、絶対に「おいしい」とは言いませんでした。

しかし、食事が進んでいくにつれ、人々の心に変化が生まれてきます。

とびきりの美味しい料理を食べ、一流のワインを飲みながら、歓談していく中で少しずつ心がほぐれていきます。

そして昔の懐かしい思い出、牧師が生きていた時の麗しい信仰生活、喜びに満ちた教会生活を語り合い、長い間、いがみ合っていた村人同士の間に和やかな、愛と喜びに満ちたく空気が流れ、食卓を包んでいきます。

人々はだれ一人、「おいしい」とは言いませんでした。

しかし、みんなが幸せな気持ちになり、心を一つにして神さまを見上げるのでした。

バベットは宝くじの賞金を晩餐会のために、村人のために使い果たしました。

神さまは同じようにイエス・キリストというお方をわたしたちのためにささげてくださいました。

神さまの愛と恵みとは、私たちを心も体も幸せにするものです。

そのことを知った時、私たちの人生の味わいは幸せな味に変わるのだと思います。

神の愛のまなざしを受ける時、私たちも他者の希望となることができます。

神の愛を見るならば、自分だけ満たされることだけで終わりません。

この清和の生活の中で、心も体も満たされながら、他者のために生きる使命も与えられて、喜びに包まれた学園生活となることを祈っています。

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