礼拝の話

2020/07/14 

7月14日(火)聖書 マタイによる福音書 6章31~34節 英語科 楢本

「思い悩むな」という今日の聖書箇所は誰にとっても魅力的な言葉です。

「悩むな」と言われても簡単にそうできないのが私たちだからです。

本当に悩みがなくなればどんなに心軽くすごせることでしょう。

では、この聖書の言葉は単なる努力目標なのでしょうか?

いいえ、そうではありません。

「思い悩むな」という言葉は、実は神様から私たちへの慰めと祝福の言葉です。

悩み方には2種類ある、と言っても良いでしょう

前向きに問題に取り組んで解決して行こうとするものと、ただ嫌な気持ちを一人で繰り返しくよくよ考えるものと、です。

前向きに悩む、つまり悩みを解決しようと動くことは時にはとても難しいことです。

心の中にわだかまっているその悩みに正面から取り組まなければならないからです。

実際にはどうするのが正しいか、ほとんどわかっている時はなおさらです。

わかっていてもそうしたくない、億劫だ、そうする勇気が出ない、格好悪い、その思いに囚われて動き出すことができない、というのが本当の問題点だと言えるでしょう。

今日の聖書箇所には「明日のことまで思い悩むな」とあります。

明日のことを色々悩んだからといって、何かを得ることができる人はいません。

もしこうなったら、こうしよう、といくら考えても、明日のための完璧な準備はできないからです。

だから明日のことは悩まなくて良い、と書かれているのです。

過去のことも同じです。

昔の失敗や、辛かったことはなかなか忘れられないものです。

でも、そんなことを思い返してもそれを変えることはできません。

同じ失敗はしないぞ、と心に誓うだけです。

とは言ってもそれが自分の側に責任があることではない場合は、さらにどうすることもできません。

いつまでも「あの時のことを謝ってもらいたい」などと言い張る人がいますが、そんな思いを持っていると、それで自分自身をがんじがらめにしてしまい、何も解決しません。

過去のことを思い悩むと、そういう事態を招きます。

明日のことも過去のことも思い悩まない、それは私たち人間の仕事ではない、と聖書は語っています。

必ずや神様が私たち一人一人に必要な道を開いてくださる。

だから自分であれこれ思い悩む必要はない、と語っています。

イエス・キリストはまさに、私たちの代わりに悩まれました。

私たちは自分の失敗を自分で贖うことができない弱い存在です。

人となってこの世に来てくださった神の御子キリストは弱い私たちとともに歩み、見捨てられた者たちを癒してくださいました。

イエス・キリストは私たちの悩みを共にしてくださったのです。

だからこそ、このみ言葉があります。

「神の国と神の義を求める」とは、必ず神様が良い道を備えてくださると信じて歩む事です。

神様の導きと祝福に信頼し、安心して歩みましょう。

悩みの中に沈んでもがくのを止め、前向きに、自分のなすべきことと向き合って、歩みましょう。

その日の苦労はその日だけで十分ですから。

この慰めと励ましの祝福を受け取って、前に歩み出したいと思います。

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