礼拝の話

2020/07/15 

7月15日(水)聖書 マルコによる福音書 1章14~15節日本基督教団 土佐嶺南教会 鍋谷仁志牧師

最近、息抜きにいろいろな動画を見ますが、ゲームの実況動画をよく見ています。

特に街を作るシミュレーションゲームの実況動画にはまっています。

はまった理由は2つあります。

1つは私自身が30年近く前に同じような街づくりのゲームにはまっていたからです。

もう1つは、そのゲーム好きが高じて、大学卒業後にゲーム会社に就職したからです。

15年前に会社を辞めて牧師になるための学校に入りなおしたのですが、あれからこんなに変わったのかと、感慨深く思いながら見ています。

もしもゲーム会社を辞めなかったら、と考えたのはずいぶん久しぶりでした。

神学校に入ったばかりの頃や牧師になったばかりの頃は、どうしてよいかわからないことに何度もぶつかって悩むことが何度もありました。

しかし、今回の思いはあのころとは違うものでした。

今歩んでいる道を振り返って、あの公開するほど苦しんだ頃から今に至るまでずっと、神さまに守られてきたのだなと思い起こす、そのような感じでした。

今の自分が生きている道こそ、神さまが与えてくださった道だと確信を深めたのでした。

今朝の聖書の箇所にある「悔い改め」は後悔という言葉と形は似ていますが、意味は全く違います。

悔い改めは、選んだ道でたとえうまくいかないことがあっても、選ばなかった道を振り返ることなく、前を向いて進んでいく歩みです。

この道は神さまが選ばせてくださった道なので、何があっても私にとって一番の道だと信じて安心して前に進むことができます。

神さまはこの道を歩むようにと、誰でも導いておられます。

学校生活の様子

学校生活|中学校一覧へ

学校生活|高校一覧へ

学校生活一覧へ

礼拝の話一覧へ

中学・高校 学年の通信から一覧へ

クラブ活動一覧へ

▲ページトップへ