礼拝の話

2020/09/02 

9月2日(水)聖書 イザヤ書 43章4節 日本基督教団 土佐嶺南教会 鍋谷仁志牧師

こんな自分など、誰も愛してくれないと思い嘆いている人、自分に自信がなく、自分に満足できず、誰も自分を受け入れてくれないと考えている人に、神さまは「あなたは私から見て値高く、尊い」と言われます。

神さまからこのように言われることは、大きな励まし、慰めになるでしょう。

最初にこの言葉を聞いたのは、教会に通いだしてすぐのことでしたが、とても慰められたことを覚えています。

神さまが誰のことかわからなくても、それはとても心地よく響く言葉でした。

この言葉は今も、私にとって大きな支えになっています。

この神さまの愛に支えられて、私のこれまでがあり、今があり、そしてこれからがあると、いつも思わされています。

神さまに愛されているということは、私が同じ愛をもって、他の誰かを愛することができる、ということです。

愛される資格のない私には、誰かを愛することなんてできない、と思っていました。

牧師として、夫として、父親として、人間として他のすべての人間を受け入れること、愛する能力も余裕も私にはないけれど、神さまが、この人たちを、私を愛するように愛しておられると知る時、私もこの人たちを同じような愛をもって、受け入れることができるようにされます。

愛されること以上に、愛することは、本当に嬉しいことなのだと思いました。

自分は愛される資格がないと、かつての私のように失望している人たちに、神さまがあなたを愛しているよ、だから私もあなたを愛している、あなたは愛されているんだよと告げることができます。

私たちは皆、神さまからのこの愛の言葉をいただいて、今日1日を過ごすことができます。

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