礼拝の話

2022/01/19 

1月19日(水)聖書 マタイによる福音書 5章46~47節 英語科 菅田

高校生だった頃、私は新潟の高校で寮生活をしていました。

私の通っていた学校は寮の生徒と通学する生徒の両方がいました。

女子寮2館、男子寮2館で1館40数人ほどの人数が学校内にある寮で生活をしています。

やはり大人数での生活をするうえで大切になってくるのはルールです。

19時の門限や22時の点呼、朝食は7時など、寮では定められた流れの中で生活をしていかないといけませんが、学校の定める生活時間のルールとは別に、生徒同士が良い気持ちで過ごせるルールもあり、生徒同士が互いに生活するためのルールを生徒自身が作っていました。

一方で「これは意味があるのか」と疑問を抱くルールもありました。

それは寮の先輩に自分から挨拶をするというルールです。

一日に何度も同じ人に挨拶をしなくてはならず、寮でも学校でも、とにかく挨拶する毎日でした。

でも、ルールによって、私は自分のほうから相手に挨拶する習慣が身につきました。

最近になって調べてみてわかったことがあります。

まず、お早うございますは「お早う、あさからご苦労様です」という言葉が元です。

「こんにちは」は「こんにちは調子はどうですか」という言葉が元です。

「こんばんは」は「今晩はいい晩ですね」です。

おやすみなさいは「ゆっくり体をやすめてください」といういたわりの言葉です。

どの挨拶も相手を思う気持ちが言葉になっています。

日本語は時間によって挨拶の言葉が変わります。

今日の聖書箇所では「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんなに報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんなすぐれたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。」

旧約聖書のイスラエルの人達のあいさつは、いつでも、何用でも同じ言葉でシャロームです。

おはよう、こんにちは、こんばんは、おやすみ、全てがシャロームです。

日本の挨拶と違ってシャロームには「平和」という意味もあります。

イスラエルでは異国の人や宗教も違う人など色んな人と共存しなくてはいけません。

ただ挨拶をすることが「私はあなたの敵ではありません」と相手に伝えることができます。

ここから挨拶は「自分を守ること」につながることがわかります。

言い換えると「自分を生かす」ために挨拶をします。

関係性が悪かった相手と良い関係性に変化していく現象に作用したのは安心感だと気づきます。

この気づきを大切に、一日一日を過ごしていこうと思います。

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