礼拝の話

2024/02/02 

1月22日(月) 聖書 ルカによる福音書 23章39~43節 校長 小西二巳夫

「湯を沸かすほどの熱い愛」という銭湯・お風呂屋さんを舞台にした映画があります。

主人公の銭湯の女将さんに宮沢りえ、1年前からパチンコに行くと言ったまま帰ってこない夫をオダギリジョー、高校2年生の娘安澄に杉咲花、そして松坂桃李が脇役で出ています。

物語は双葉が末期がんで余命2ヶ月と宣告されたことから始まります。

動揺する双葉でしたが、死を前にして、自分がやらなければならないことを考えます。

あと数か月しか生きられないとわかった場合、残された時間を自分のために使いたいと考えるのがふつうのように思います。

しかし双葉は残された時間を、家族をはじめ他者のために徹底的に使おうとします。

その彼女の姿勢に触れた人たちが漏らす感想や生き方の変化にグッきます。

クライマックスは双葉のお葬式の場面です。

ぜひ見てもらいたいと思います。

双葉と家族や出会った人たちの関係は、イエス・キリストと弟子たち関係を思い出させてくれます。

もうすぐ十字架で死ぬことを知ったイエスの言葉と行動によって、頼りなかった弟子たちが自らの生き方を見つけていく様子が聖書には書かれています。

まさにそれに重なります。

イエスは弟子たちに言いました。

「あなたがたが私を選んだのではない。私があなたがたを選んだのである」。

安澄は双葉の棺を前に誓いました。

「あたしのためにすべてを捧げてくれたお母ちゃんを、今度はあたしが安心させてあげなければ」。

これはイエスの十字架を前に怖くなって逃げた頼りない弟子たちの決心そのものです。

そして無責任にすべてを放り出していなくなった一浩の過ちを、自分が死ぬことですべてを許してもらうというのは、人間の罪のために十字架に架かることによってゆるしを乞うたイエス・キリストの姿そのものです。

新約聖書の福音書は、そのイエスが一人ひとりのところにやって来ることをさまざまな形で伝えています。

そこで願うのは、どんな形でもいいので、能登半島地震で被災をして絶望的な思いで今日を生きている人、大切な人を失った人、悲しみの中にいる人の傍らにいて下さることです。

辛い立場にいる人の心を絶望から希望へと導いてくれることです。

そのために真剣に祈る自分、私たちでありたいと願います。

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