礼拝の話

2024/02/05 

1月23日(火) 聖書 詩編 139編16節 社会科 山脇

昨年の今日、1月23日、私たち夫婦に子どもが与えられました。

この1年、日に日に出来ることが増えていく姿を見ていると、子どもの成長は早いなぁとつくづく思います。

親に似たのか、私たちの子どもはとにかく良く食べます。

最初は片手で楽々と持ちあげられていたのに、今は生まれた時より体重も3倍近く増え、片手で抱えることが難しくなりました。

子どもの成長は食べ物だけでなく行動にも見られます。

ハイハイから伝い歩きに代わると行動範囲も広がり、あちこち動いていきます。

休みの日、朝から晩まで家にいる時は、子どものお世話で一日が終わります。

疲れはしますが、一週間のうちの1日、2日ですから、私にとっては楽しいひと時です。

でも、休みの日だけでなく、毎日子どもと向き合っている妻のことを考えると、楽しいだけではないだろうと、容易に想像できます。

大変と思う時もあるけど、子どもと一緒にいる時間が嬉しいと妻は言います。

私も子どもの相手をしていて気づかされたことがあります。

それは、私たちが子どもの歩みを支えているのと同じように、私たちも子どもから元気をもらって励まされ、日々の歩みの支えになっているということです。

今日の聖書箇所には、私たちはこの世に産まれる前から、神によってその存在が守られているということが記されています。

「胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた」「わたしの日々はあなたの書にすべて記されている」と今日の聖書にはあります。

母親のお腹にいる時から、神は私たちを見守り、その日々をすべて心に留められている、と聖書は言うのです。

この16節は「まだ一日も造られないうちから。」という言葉で終わります。

「まだ一日も造られないうち」という聖書の言葉は、母親のお腹の中で命を与えられる前から、神は私たちの存在をご存じであるということだと思います。

この聖書の言葉は、神が私たちに命を与えてくださるということを表しているのだと感じます。

その命を与えられる神は、今も私たちを支え、励まし、日々の歩みを心に留められている、と今日の聖書は語っているように思います。

生まれる前から、誰かに支えられ、励まされ続けているということを、私は子どもの出産を通して実感しました。

今日という日の歩みのうえにも、これから歩んでいこうとする道のうえにも、誰かの支えと励ましがあることを、何より産まれる前から見守ってくださる神の支えがあることに感謝して、祈りつつ歩んでいきたいと思います。

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